レベル7番外編/オフサイトセンターに官僚参集せず 事故対応で手いっぱい

 東京電力福島第一原発がすべての交流電源を失い、原子炉を冷やせなくなる初の原子力緊急事態を受けて昨年3月11日、福島県大熊町のオフサイトセンター(OFC)に立ち上がった国の現地対策本部。そこには原子力災害対策マニュアルに従い、内閣官房と1府8省から指定の要員が駆け付けるはずだった。だが、実際に集まったのは半分以下。なぜ官僚たちは来なかったのか。検証を進めると、マニュアルの欠陥があらわになった。(増田紗苗)

霞が関 事故対応で手いっぱい/意思決定3委員必要

 「一五条通報になります」。東日本大震災の発生から二時間が過ぎた三月十一日午後四時四十五分すぎ、経済産業省別館三階の緊急時対応センター(ERC)に緊迫したアナウンスが響き渡った。
 一九九九年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故を機に制定された原子力災害対策特別措置法一五条に基づく初めての通報。それは、福島第一1、2号機で原子炉の冷却ができないという極めて深刻な事態に陥っていることを意味していた。
 室内の空気が一気に重くなる。情報をホワイトボードに書き込んでは、報道発表の資料をまとめていた原子力安全・保安院原子力安全広報課広報班長の柿崎雄司(53)は、肌があわ立つのを感じた。
 一五条通報があると首相は原子力緊急事態を宣言し、OFCには現地対策本部が設けられる。原災マニュアルは参集する各省庁ごとの要員を指定しており、保安院からは、情報を取りまとめる「総括班」と事故の進展を予測する「プラント班」、報道発表や住民対応を担う「広報班」の、それぞれの責任者が派遣されることになっている。柿崎は広報責任者の補佐役となるはずだった。
 だが、刻々と悪化する事故への対応で抜けるに抜けられず、派遣の招集もない。ERCは福島第一などの情報が次々と届き、戦場のような状態。柿崎は二日間、その渦に巻き込まれた。広報課に戻った後は、同僚とともに多い日は千件にも及ぶ問い合わせや抗議の電話に出続けた。
 現地広報班の業務は保安検査官事務所の所長が代行した。
 原子力安全委員会は現地本部の助言役として、五人の委員のうち久住(くすみ)静代(65)と代谷(しろや)誠治(63)が、総括班の要員として事務局の職員一人が派遣されることになっていた。だが、久住は海外出張中で不在。代谷は、委員長の班目春樹(62)が官邸に呼ばれたきり戻らないため、席を外せなくなった。安全委は、委員が三人以上がそろっていないと決定が下せない決まりがあるからだ。
 東京・市谷の防衛省から現地に向かう航空自衛隊のヘリの座席にも限りがあった。安全委に割り振られたのは一席のみ。管理環境課長の都筑(つづく)秀明(48)は、職員一人にその席を与えた。
 残った代谷は委員室に缶詰めとなり、ERCを通じて現地にアドバイスを続けた。「何でも相談室のよう」。東電や保安院からの情報はない。テレビや官邸の班目の情報をもとに、三日間ほとんど寝る間もなく助言に専念した。
 代谷は今、こう言って悔やむ。
 「現地に行った方が良かったのでは…。隔離された状態で、情報がなかったから」

現地本部 当日入り8人だけ/仮眠時も防護マスク着用

 ERCに「一五条通報」のアナウンスが響いたころ、経産副大臣の池田元久(70)は、慌ただしく身支度を整えていた。原災マニュアルでは、現地対策本部の本部長は経産副大臣と決まっている。
 二人の副大臣のうち最初に派遣されることになった池田は、作業服と帽子、半長靴を用意し、公用車で省を出る。副本部長兼事務局長となる審議官の黒木慎一(53)らも一緒だった。
 車中でNHKラジオを聴き、黒木からレクチャーを受けながら先を急ぐ。だが、折からの大渋滞で遅々として進まない。ふだん二十分ほどの秋葉原まで二時間近く。池田はたまりかねて次官の松永和夫(59)に電話し、自衛隊のヘリを手配するよう指示した。
 ようやくヘリの待つ防衛省に着き、安全委や文部科学省の職員らと現地に向かったのは午後九時。出発から四時間がたっていた。
 池田らの一行は、着陸にも難儀した。現地との連絡不足や停電が重なり、OFCから二十五キロ離れた航空自衛隊大滝根山分屯基地に降りざるを得ず、現地本部に入るのは日付が変わるころとなる。
 着いてみると、OFCに明かりがついていない。震度6強の揺れに、建物自体はほぼ無傷だった。だが、地下タンクから燃料をくみ上げるポンプが故障し、非常用発電機が使えない。先着の要員は、隣の福島県原子力センターへと移り、代替本部としていた。
 池田は所長室に陣取り、指揮を執る。省庁からの官僚の要員は同行の八人しかいなかった。
 十二日未明、ようやく発電機が復旧する。池田らはOFCに戻るが、地震で電話回線が壊れ、使える通信手段は衛星電話三台だけ。東電本店や福島第一と結ぶテレビ会議システムを復旧させ、情報をERCに報告した。
 実動部隊となる日本原子力研究開発機構や放射線医学総合研究所などの職員の参集も遅れた。一斉招集連絡システムがあるが、停電で機能しなかった。
 放医研外部被ばく評価室長の鈴木敏和(58)が到着したのは、十二日午前十時前。間もなく第一回全体会議が開かれ、被ばくを防ぐ安定ヨウ素剤の配布に向けた準備など、今後の方針を決めた。鈴木は参集しない厚生労働省の職員に代わり、医療班の責任者となる。
 正午ごろ、鈴木は屋外の放射線量を測ろうと、外へ出てみた。空は晴れわたり、風が心地よい。一台の車に近づくと、いきなり線量がはねあがった。この日の朝に首相の菅直人(64)が福島第一を視察した際、応対のため所内に入った要員が使った車だった。
 三十分後、室内の線量が二十倍になる。再び外で測ると、セシウム137の数値が上がっている。炉心溶融が起きたと確信した鈴木は、池田に報告。出入りする人の線量を調べるよう進言した。
 午後三時半すぎに1号機が爆発すると、室内の線量がさらに上がる。換気扇に放射性物質を防ぐフィルターすらないOFC。もろさは明らかだった。
 十四日午前十一時すぎに3号機も爆発し、2号機も危機が迫る。夜に入り、池田は現地対策本部の福島県庁への移転を模索。福島県副知事の内堀雅雄(46)を先遣隊として派遣した。日付が変わるころには、毎時〇・一ミリシーベルトに設定したアラームが断続的に鳴り、机に突っ伏して仮眠をとる時も防護マスクを着けるようになる。
 池田は経産相の海江田万里(62)の了承を得て、撤退を決定。十五日午前十一時ごろから約百四十人全員がOFCを去る。官僚は四十五人が来るはずだったが、この時いたのは二十一人だけだった。

欠陥 複合災害想定なし/派遣規定もあいまい

 現地本部に駆け付けるはずだった官僚の多くは、震災への対応に追われていた。
 消防庁は「総括班」や「住民安全班」に計四人を派遣することになっていた。だが、派遣予定の広域応援対策官は、災害時の緊急消防援助隊の責任者でもある。より本来業務に近い消防援助隊の仕事を優先し、現地本部への派遣を見送った。
 医療班の責任者となるはずだった厚労省医政局指導課の課長補佐は、災害派遣医療チームを派遣する統括も担っていた。
 被災自治体から相次ぐ医師の派遣要請の調整に追われ「物理的に派遣できなかった」(塚原太郎・厚生科学課長)。避難する入院患者への対応のため、十七日に福島県庁に職員を派遣したが、本来の現地本部の要員を出したのは、事故発生の十日後のことだ。
 要員の二重予約は、原災マニュアルが天災と原発事故が同時に起きる複合災害を想定していなかったことが背景にある。複数の省庁の担当者が「原発事故だけなら派遣できた」と口をそろえる。
 もう一つの問題は、事故時に省庁から自動的に集まる仕組みになっていないことだ。
 原災マニュアルでは商用炉の場合、経産省(保安院)が各省庁に派遣を依頼することになっている。要員のリストも決められているが、省庁は「必要に応じ」要員を現地派遣するとされ、義務かどうかはあいまいだ。
 農林水産省の担当者によると、保安院からの派遣依頼は事故発生から一週間後。既に現地本部が福島県庁に退避した後だった。
 省庁側が打診したのに「必要なし」とされたケースもあった。
 気象庁は十二日に派遣を相談したが、「必要なときに連絡する」と回答があったきり。福島県に派遣されていた職員が二十一日、県庁に退いた現地本部に再度尋ねると、今度は「すぐに来てほしい」と言われ、翌日から職員を送り込むというちぐはぐさだった。
 環境省は十三日、要員を派遣するため「交通手段を確保してほしい」と保安院に依頼した。だが、保安院の返答は「確保できた段階で連絡する」。ようやく派遣要請が来たのは六日後だった。

教訓 遅れるマニュアルの改定

 原災マニュアルは複合災害を想定せず、その不備を露呈した。政府は全面改定する方針だが、前提となる防災指針の改定が原子力規制委員会の発足後にずれこんでおり、改定時期のめどは立っていない。
 「現行マニュアルで対応することになります」。保安院原子力防災課長の松岡建志(45)はこう話し、万が一、福島第一と同じような事故が今起きたら「欠陥マニュアル」に頼るしかない現実を認める。
 このままでは、省庁の要員の参集も混乱が起きるのは必至だ。
 一方、仮に全員が参集したとしても省庁の要員は十分な戦力になるのかという疑問もある。
 現地本部では今回、放医研の医師や原子力機構の職員らの活躍が目立ち、省庁からの要員は数の少なさもあって影が薄かった。
 要員を派遣しなかった省庁からは「求められていた仕事が(被ばくの)スクリーニングの基準設定など専門的なものもあり、うちの職員ができたか疑問」(厚労省)、「放射線班の要員を出すことになっていたが、専門的な知見を持つ者がいない」(環境省)といった声すらある。
 福島事故を踏まえ、OFCの見直しを進める保安院が開いた専門家会合では、省庁からの要員を単なる「リエゾン(連絡役)」とすべきではないかという意見も飛び出した。
 安全委の作業部会は3月、防災指針改定の中間取りまとめで、現行の仕組みは「迅速な決断ができないこと等から機能しない」と断言。「司令塔となるべき拠点を設置し」「国や自治体の責任者、防災の専門家(助言者)ら少人数が参集し迅速に防護対策を決定する体制を構築する必要がある」と記した。
 拠点の場所は「県庁等、原子力施設から十分離れ、災害の影響の小さい位置かつ緊急時スタッフの確保が容易な位置」と提案。このほかに放射線計測などの前線基地となる施設を、より原発に近い場所に設けるべきだと指摘している。

関連記事