重大事故から二年。東京電力福島第一原発がある福島県大熊町の大半は今も帰還困難区域で、すべての住民が避難生活を強いられている。十三日、町内の放射線量を測って歩いた。民家や商店街、道端の放射線量は、とても帰れるような線量ではなかった。あらためて厳しい現実を目の当たりにした。(大野孝志)
同町で学習塾を営んでいた木幡(こわた)ますみさん(57)に同行する形で入った。立ち入りには許可が必要で、防護服に防じんマスク、靴カバーも着用する。出入りは身分証の提示が必要で、出る際は汚染チェックも受けた。
図の通り、原発の南端に近い地点では最も高い毎時三五・七マイクロシーベルト(一マイクロシーベルトは一ミリシーベルトの千分の一)を計測。原発から三キロほど離れた大熊町役場やJR常磐線大野駅前でも一〇マイクロシーベルトを超えた。
駅前の商店街では八・八五マイクロシーベルトあり、人影のない中で、カラスの鳴き声と風の音しか聞こえなかった。すべての店が地震で壊れ、荒れ果てていた。
日ごろの原発取材では、ミリシーベルトがよく出てくる。大熊町の値は小さいと勘違いしてしまいそうだが、毎時〇・二三マイクロシーベルトで、一年で一般人の被ばく線量限度の一ミリシーベルトに達する。この限度値を物差しに、自分が測った値を見直すと、いまだ線量がいかに高いかを実感した。
線量は原発から遠くなるほど低くなる傾向があったが、風や落ち葉の有無によって、大きく変わるのが印象的だった。
原発から約七キロの木幡さんの学習塾の戸外では五・一五マイクロシーベルトで、隣接する母屋二階の室内は二・一四マイクロシーベルトだった。除染が全くの手つかずの地域とはいえ、線量限度の十倍もの数字だ。
除染すれば、それなりに数値は下がるのだろうが、果たして〇・二三マイクロシーベルトまで下げられるのか。国は早期帰還を進めるため、線量の目安をもっと緩くすることを検討しているとも伝えられる。その方がいいのか。
厳しい町の現実を前に迷う中、木幡さんが訴えた。
「とても帰れる状態ではない。高齢者は避難中に亡くなっていく。除染より、新たな場所に移り住めるよう、早く十分な補償をしてほしい」
同行した政党「みどりの風」代表の谷岡郁子参院議員は「国は詳細な計測結果や、将来は線量がどうなっていくのか予測を住民に示し、帰るかどうか判断材料を示すべきだ」と語った。