政府要請の停止から10年 浜岡原発周辺の今

 中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)が2011年5月14日に政府の要請で停止してから、10年が過ぎた。巨大な電源が止まった街で暮らす人たちは何を思うのか。現場を訪ねた。

2011年5月14日から全面停止が続く中部電力浜岡原発=静岡県御前崎市で、本社ヘリ「おおづる」から

廃炉願うも…想像できない「その後」

 東日本大震災が発生した2011年3月11日。御前崎市の柏田真由子さん(37)は、次男の出産を控え産休に入った日だった。

 御前崎市でも震度3を観測。柏田さんは御前崎港近くの自宅から、津波を避けるため沖に向かう漁船を見守った。その後、東京電力福島第一原発に異変が起きたことをテレビで知った。

 浜岡原発は、柏田さんにとって昔から複雑な思いにさせる存在だった。敷地内の公園はなじみの遊び場。大好きだった祖父との散歩でも定番のコースだった。

 それでも夫の博志さん(40)には「原発関連では働かないで」と言ってきた。小学生のころ、他学年の父親が白血病で亡くなったとの話が数年おきに出回り、大人は「原発で働いていたんだって」とうわさした。子供心に、原発はただの遊び場ではなく、怖い一面を持つ場なのだと思わされた。

 出産を終えて12年春、職場の茶商店に復帰。ほどなく任されたのは「風評被害請求」という東電への賠償請求だった。福島第一原発から約400キロ離れた静岡でも、農作物から放射性セシウムが検出され、お茶の買い控えが起きていた。

柏田さん家族。自宅近くの茶畑の向こうに浜岡原発が見える=静岡県御前崎市で

 「このまま動かさず、時が来たら廃炉にするのがベストでは」。原発停止後、思うようになった。この10年で家族は2人増え、5人に。昨年、茶園や森に囲まれた丘に家も建てた。

 3人の息子は自宅近くの森の探検がお気に入りだ。釣り餌になるミミズやザリガニを捕ってくれば、駄菓子屋さんが1匹3円で買い取ってくれる。息子たちの大切な故郷・御前崎を福島のように失いたくない。

 一方で浜岡原発が立つ街の市民として、手厚い住民サービスを受けてきた自覚がある。人口3万人余ながら県内有数の蔵書を誇る図書館、滑り台のある温水プール、電気料金も安い。福島のような事故が起きればとても割に合わないが、陰に陽に恩恵を受けてきた。「原発が急に『敵』にはならない」のも現実だ。

 廃炉を望むようになっても「なくなれば街が朽ちていくかもしれない」という思いがよぎる。中電や関連会社で働く知り合いに不利益がないよう、都合のいい考えとも思うが「仮に将来、廃炉になるとしてもなるべく緩やかに」と願う。

 「廃炉後の御前崎は想像もできない。だって原発が建つ前の街を知らないから」。柏田さんの自宅から東に3キロ、浜岡原発の排気筒が見える。(河野貴子)

旧5町の家庭など電気料金は割引

 1974年度にできた「発電用施設周辺地域整備法」など電源3法に基づき、浜岡原発の地元4市(御前崎市、牧之原市、掛川市、菊川市)のうち、浜岡(現御前崎市)、御前崎(同)、相良(現牧之原市)、小笠(現菊川市)、大東(現掛川市)の旧5町に含まれる全ての家庭と企業は電気料金が割引されている。

 原資は原発周辺地域の振興と福祉向上を趣旨とした国の交付金。契約者の口座に年に1度還付され、期間は3~5号機の建設着工から運転終了まで。一般家庭の年間割引額は、浜岡地区が1万2852円、御前崎地区は9636円。相良、小笠、大東の3地区は6420円。

原発に頼らない道を模索

 原発敷地内に排気筒の影が落ちる午後5時すぎ、作業員らの列が敷地から北に延びる坂道に続く。彼らは駐車場からマイカーで帰宅する。原子炉が動きを止めて10年。作業が減り、地元の民宿や旅館に泊まり込んでまで働く人は少ない。

 「津波対策の防潮堤の工事をしていたころは何カ月も満室だったけど、今はなかなか。原発もいつ動くのか分からないしね。かといって観光客向けに宿のつくりを変えるにはすごくお金がかかるし…」。実家の民宿「たけゆう」で働く竹田哲矢さん(38)がぼやいた。

 高校卒業後に地元を離れ、神奈川県内で働いていた。父が始めた民宿を継ぐと決めたのは「(15年に着工予定だった)6号機の新設を見越したから」だった。帰郷を前に結婚した妻との新婚旅行を終え、御前崎市に戻ってきた11年3月11日。その日、福島で原発事故が起きた。

 人生は急転した。福島の事故の2カ月後に浜岡原発も全面停止。6号機新設に向け入っていた作業員らの予約は全てキャンセルとなった。「コロナと違って、休業補償も何もなかった」。夏にはビアガーデンを催して、急場をしのいだ。

 息を吹き返したのは11年11月に防潮堤の建設が始まってからだ。14~15年のピーク時は原発で1日4000人が働いた。16年3月に完成するまでは、民宿も人であふれた。

原発停止の影響をどう乗り越えるか思案を続けている竹田哲矢さん=御前崎市佐倉の「たけゆう」で

 防潮堤の完成後は作業員が1000人減った。出入りする3000人の約7割は、御前崎、掛川、牧之原、菊川の近隣4市に住む。宿泊を伴う県外からの出張者は1割にすぎない。民宿の部屋は和室一間で風呂、トイレは共同が多い。作業員でも若者はホテルを選ぶ傾向にあり、客は減っていく一方だ。

 御前崎市商工会によると、宿泊業を営む会員は26軒(4月末現在)。この5年で5軒が廃業した。

 「たけゆう」にとっても人ごとではない。国の補助金で食堂を改造し、テークアウトできる飲食店兼民宿への転換を検討し始めた。

 竹田さんは2代目として、原発だけに頼らない道を模索。新型コロナ禍で田舎や観光地で休暇を取りながらテレワークする「ワーケーション」にも目を付け、部屋に玄関やバス、トイレを造ることも考えている。(高橋雅人)

税収も公共工事も減り

 原発停止で関連税収が減った御前崎市では、公共工事も減った。市商工会長で配管設備会社を営む河原崎健司さん(69)は「年商は3分の2くらいになった」。

 商工会では、数年前から地元ブランド牛「遠州夢咲牛」の革製品の特産化計画も始まったが簡単ではない。「他に潤う方法がないから動いてくれないと困る」と原発再稼働を望む声が根強いのを知った上で、河原崎会長は言った。

 「(昔のように潤うことを)望むなら原子炉の新設しかないけど。難しい。浜岡は動くまで何年かかるか分からない。『動かすのは無理』とはっきり言ってくれた方がよっぽどいい」

事故が起きたら…遠方避難の計画はほとんど未着手

 御前崎港(静岡県御前崎市)の先に穏やかな駿河湾が広がる。一帯を見下ろせる小高い丘に、服部栄さん(83)が夫と2人で暮らす老人ホーム「ナーシングホーム静養館 御前崎オーシャンビュー」はある。

 服部さんは生まれも育ちも御前崎市。現役時代は養鶏業を営み、最大で1万8000羽ほどのニワトリを飼った。自然の恵みで育てた卵は口コミで評判を呼び、全国に発送していた。原発関係者が泊まる民宿に配達していた時期もあった。

 「中部電力さんには、お世話になってきた」。御前崎港には使用済み核燃料を搬出する中電の専用岸壁がある。服部さんが若い頃、その周辺の開発が進み木々が伐採され山は裸になってしまった。中電と協力しマツを植えた。社員とも仲良くなったという。

 ホームの7.5キロほど先には浜岡原発がある。停止から10年になるが、服部さんは「新(自然)エネルギーの普及もまだだし、危なくなければ稼働したほうが良い。反対のための反対はいかん」と話す。

 その服部さんが暮らす鉄筋4階建てのホームは2年前、原発事故が起きてもすぐ避難することが難しい人が屋内退避する「放射線防護施設」になった。

 ホームは2億5000万円の補助を国から受け、放射性物質を除去するフィルターや外気を遮断する気密シャッターを付けた。1週間から10日は屋内退避できるよう飲料水や食料、簡易トイレも備蓄した。

 服部さんは「(フィルターやシャッターを付ける)工事の様子も窓から見えた。安心している」と話す。

 ホームには服部さん夫妻を含め、60代から100歳以上までの入所者80人が暮らす。

 浜岡原発に万が一の事態が起きた時、屋内退避の責任を負う統括本部長の小塚みゆきさん(52)が、昼下がりのリビングで思い思いに過ごすお年寄りを見つめながら言う。国の方針に従い1週間は屋内退避できる備えを整えたが「その間に本当に助けが来るのか、次の場所に避難できるのか」。小塚さんは、屋内退避が長引き、孤立することを心配している。被災した状況下で「お年寄りたちの体調が急変した時に、診療の医師が来ることができるのか」。

 御前崎市の広域避難計画では、浜岡原発で事故が起きた場合、市民は浜松市へ避難する。地震や津波との複合災害で浜松市への避難が難しければ長野県に向かう。

 静岡県原子力安全対策課によると、福祉施設は屋内での一時退避後の避難先を「施設ごとに別途、確保する必要がある」。県や市町の支援を受け施設が策定するが、ほとんどが未着手という。

 服部さんは10年前の福島第一原発の事故は「人ごとのように」受け止めたという。それでも事故が起き、遠くへ避難することになったら-。記者がそう問うと「そこまで考えたら、ここでは生きていけんね」という返事が返ってきた。(酒井健)

2年前に「放射線防護施設」となった老人ホームでスタッフと会話を交わす服部栄さん(左)=御前崎市

高齢者や障害者、子どもや妊婦らは防護施設に一時避難

 原発事故の際、予防的防護措置区域(PAZ)に住む高齢者や障害者、乳幼児、妊婦などの「要配慮者」は、放射性物質を防ぐ対策を施した近くの建物「放射線防護施設」に約1週間退避し、そこに滞在しながら、正式な避難先と移動手段を確保する。静岡県御前崎市内には「御前崎オーシャンビュー」「市立御前崎総合病院」など16カ所ある。

 浜岡原発のPAZは、御前崎市の全域と、隣接する牧之原市の同原発から半径5キロの地域。御前崎市は、PAZ内の要配慮者と付き添い家族、施設職員ら約2100人全員分の放射線防護施設を確保。対象者が約1200人いる牧之原市では、まだ全員分は確保できておらず、在宅の要配慮者や放射線防護施設化されていない福祉施設の入所者らが退避する放射線防護施設の建設計画を相良地区で進めている。

 静岡県によると、原発から半径10キロ圏内の福祉施設や病院は、原則として国の全額補助で放射線防護施設に改修できる。木造など気密性が確保しにくい建物は対象外。在宅の人は、市町が自宅近くに確保した放射線防護施設に避難する。

浜岡原発とは?

1976年に1号機が運転を開始し、2005年までに5基建設。08年に1、2号機は廃炉決定し、6号機建設計画が浮上も11年の東京電力福島第1原発事故で棚上げに。3、4号機は再稼働に向け原子力規制委員会が審査中。5号機は11年5月に海水が原子炉に流入するトラブルがあり、審査は未申請。

関連記事