ふくしまの10年 「消えた障害者」を捜して ①生きていて良かった

 東京電力福島第一原発事故の後、避難所に障害者の姿はさほど多くなかったといいます。いったいどこにいるのか。障害者団体の人たちは心配し、動き始めます。長期連載「ふくしまの10年」。きょうから新シリーズ「『消えた障害者』を捜して」を始めます。
 (早川由紀美が担当します)

今野正直さん。避難生活はトイレで苦労した=南相馬市小高区で

 大きくて美しい言葉の影に、小さな声が埋もれてしまう時もある。「絆」が叫ばれた2011年の東日本大震災からの年月を、障害のある福島の人々はどう生きてきたのだろう。「共生」がうたわれるであろう東京五輪・パラリンピック大会の年に刻んでおきたいと思い、取材を始めた。
 大会は新型コロナウイルスで延期されたが、やはり今伝える意味があると感じた。弱い立場の人々を取り残さないよう、社会の「胆力」が問われるのは災害時も今も同じだ。
 車いすで避難先を転々とした紺野正直(まさなお)さん(57)は、東京電力福島第一原発から20キロ圏内の南相馬市小高区出身。障害者の就労支援をする「ほっと悠あゆみ」(小高区)に通っていた。
 事故直後、福島市の親戚の家に、一緒に暮らしていた両親や兄夫婦らと避難した。トイレが車いすで使えなかったため、同市内の入所施設で半年間暮らした。
 その後、南相馬市鹿島区にできた仮設住宅に家族と移ったが、ここにもスロープや車いす用トイレはなかった。「丈夫な人にスロープ付きのところがあてがわれたりしていた。役所にも言ったけど『自分で付けなさい』って言われた」
 ほっと悠は同市原町区にも拠点があり、そちらが先に再開された。施設を運営するNPO法人理事長の村田純子さん(66)が近くのアパートの大家に交渉し、バリアフリーに改造してもらった。そこで紺野さんは独り暮らしを始めたが、家族と離れた寂しさで一時期、酒におぼれたという。
 小高区は16年に避難指示が解除され、紺野さんは家族と一緒に戻った。小高のあゆみに再び通う。「人生終わりかな、と思ったけど、終わんなくて良かった」と、打ち明ける。

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