浜岡原発 停止8年 証言でたどる「当時」と「その後」

 東京電力福島第一原発事故後、中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)を取り巻く状況は大きく変わった。政府要請による停止から8年となるものの、再稼働の見通しは全くない。平成の終わりを迎えた今、浜岡停止とその後の影響を証言でたどった。(内田淳二、河野貴子)

中部電力浜岡原発=静岡県御前崎市で(本社ヘリ「まなづる」から、浅井慶撮影)

政府 異例の停止要請

 東日本大震災から2カ月後、福島第一原発事故の大混乱が続く最中だった。
 「全ての原子炉を停止すべきだと判断した」
 当時の菅直人首相(72)は2011年5月6日夜の緊急会見で、浜岡原発を止めるよう中電に要請したことを明らかにした。
 段取りを進めていたのは、経済産業相だった海江田万里氏(70)。「漏れたら圧力がかかる」とかん口令を敷き、菅氏にも発表当日まで知らせなかった。

中電に浜岡原発の停止を要請した当時について語る菅直人元首相=東京・永田町で

 始まりは、震災後の11年4月末にあった政府の中央防災会議。「30年以内に大地震が起きる確率は87%」。海江田氏は浜岡周辺の地震発生予測に衝撃を受けた。そして、浜岡を止めた場合の電力供給の影響を調べるよう、事務方トップの次官に指示した。
 試算はすぐに届く。火力発電の割合が多い中電は、原発依存度が10数%と低く、やりくりできそうだった。海江田氏は「現場も確認したい」と5月5日、浜岡に視察に向かった。
 津波を防ぐと説明された砂丘に立つと、波がはい上がる懸念を感じた。海からはいい風が吹き、サーフィンを楽しむ人たちが遠くに見えた。「福島のように、この平和が崩れてしまうのではないかと。あの時、心を決めた」

 翌6日昼、海江田氏は意を決し、官邸で停止要請の計画を初めて伝えた。菅氏は「渡りに船。うれしい驚きだった」と振り返る。
 東京を含む5000万人が避難を余儀なくされる−。福島原発事故後、内閣府の原子力委員長が非公式に「最悪のシナリオ」をまとめた。菅氏は、小松左京氏のSF小説「日本沈没」が現実になるかもしれないと震え上がったのを覚えている。だからこそ、震災対応に追われながらも浜岡のことはずっと頭にあった。
 「大動脈(東海道新幹線や東名高速道路)が走る静岡でも事故が起きれば、日本が真っ二つになる」
 その夜の緊急会見まで一気に動いた。停止を命令する法的権限は政府になく、「要請」という形で決着。会見直前、海江田氏は中電の水野明久社長(現会長)に連絡し、「こらえてくれ、と伝えた。重苦しい電話だった」と明かす。
 中電は3日後、稼働中だった4、5号機を止めると発表。菅、海江田両氏は口をそろえた。「時代は今、脱原発に向かって動いている。あの時止めてよかった」

浜岡原発の停止要請を段取りした海江田万里もと経済産業相=東京・永田町で

法廷闘争 原告に勢い

 10年近くにわたる法廷闘争で止められなかった原発が、あっけなく止まった。
 裁判で原発の危険性を声高に叫ぶ、おおかみ少年。「周りからそう見られていた」と河合弘之弁護士(74)は苦笑いして振り返る。
 弁護団長として住民と共に運転停止を求める司法手続きに踏み切ったのは、02年4月。5年後に出た静岡地裁判決は、中電の主張をなぞるように原発を「安全」とした。

浜岡原発の廃炉を求める訴訟を起こすため静岡地裁に向かう弁護士と県民ら。先頭のスーツ姿の男性が河合弘之弁護士=静岡市葵区で

 納得できなかった。例えば、非常用ディーゼル発電機二台が「同時に動かない」という事態への対処法。中電側証人の班目(まだらめ)春樹・東大教授(当時、震災時は原子力安全委員長)は「想定していない」と答え、「全て仮定すれば物はつくれない。割り切らないと設計はできない」と説明した。
 東京高裁で控訴審が続いていた11年3月、原発事故が起きた。非常用発電機が同時に故障し、原子炉を冷やせなかったことが引き金だった。
 「言っていた通りになりましたね」。ある裁判官が河合弁護士にささやいたという。バブル期に企業の弁護士として名をはせてから一転、手弁当で挑んだ原発訴訟は負け続き。「もうずらかろう」と思い始めていたが、再び奮い立つ。
 震災後は、静岡県の弁護士たちも立ち上がった。浜岡の永久停止などを求める2件の訴訟を提起。全国的に司法は原発停止を求める住民側に厳しい判断を続けているが、静岡地裁浜松支部の裁判に参加する塩沢忠和弁護士(72)は強調した。「訴訟はさまざまな脱原発運動をつなぐ役割もある。粘り強くやっていく」

「事前了解」巡り思惑

 原発は地元自治体の同意がなければ動かせない。18年3月、日本原子力発電は東海第二原発(茨城県)を再稼働させるには、30キロ圏6市村から実質的な事前了解を得なければならないという協定を結ぶ。立地自治体以外が原発の運転を左右する初の協定は、浜岡周辺にも衝撃を与えた。

 浜岡10キロ圏内にある掛川市の松井三郎市長(72)が真っ先に反応した。18年5月、共に中電と協定を結ぶ御前崎、牧之原、菊川の3市長と顔をそろえた席で「東海第二方式」を話し合う必要があると呼び掛けた。
 4市は7月に原発担当職員の勉強会を開くことになったが、開催3日前に突然延期となる。原発がある御前崎市議会が反発したためだ。原発推進派の一部市議が「地元はわれわれだけだと、各市町に強く言わなくては」と市に迫った。
 勉強会は今年1、3月に開かれたものの、協定見直しに踏み込まなかった。御前崎市と周辺自治体の溝は深いまま。同市の柳沢重夫市長(72)は3月4日の市議会で「今の協定は妥当。見直しは考えていない」と明言した。自治体が足並みをそろえて議論するまでには、まだまだ時間がかかる。

浜岡原発とは?

1、2号機は2009年に廃炉、3~5号は11年5月に政府の要請を受けて停止した。3、4号機は再稼働に向けた審査を原子力規制委員会が進めている。東海地震の想定震源域に立地しており、16年には津波対策で海抜22メートルの防潮堤が完成した。

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