ふくしま作業員日誌 34歳男性 ヘリポートようやく、感無量

 数年ぶりに福島第一原発に戻って、新しい事務本館や休憩所ができているのを見て感無量だった。特にヘリポートが敷地内にできたなんて。近くの病院は原発事故後に閉鎖していたから、以前は福島第一で大きな事故に遭ったり急病になったりしたら、もう助からないと仲間と話していた。これで命が助かる可能性が高まった。
 三年前、掘削作業中に土砂の下敷きになった作業員が、病院に運ばれたが亡くなった。当時は原発から数キロの所にヘリが発着できるようになっていたが、病院への搬送に一時間かかった。救急車を呼び、発着所まで運び、それからヘリで病院へ…。助かる命も助からない。この時は通報も遅かった。命に関わることなのに、なぜすぐヘリポートが整備されないのかと思った。いろいろな人が動き、ようやくできたと聞いた。じんときた。
 新しい休憩所、食堂、それにコンビニエンスストアまでできていて驚いた。事故直後は水も飲めないし、飯も無かった。休憩所でも被ばくし、放射能で汚染された床で缶詰やレトルト食品を食べた。
 被ばく線量が高くなり、一生働くつもりだった地元の会社をクビになった時は、自分は使い捨てなんだとがくぜんとした。しばらく現場を離れていたが、最近そういうものだと割り切るようになった。ずっと自分が関わってきた原発だから、関わり続けたい気持ちは変わらない。廃炉になるまで見届けることは無理だろう。だけど、今、自分にできることをしようと思う。 (聞き手・片山夏子)

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