東日本大震災5年 暮らし根こそぎ奪われ 本社で避難者ら招き座談会の詳報  楢葉町 山内悟さん(61)、敬子さん(53)  富岡町 藤原和詮(かずよし)さん(64)、栄子さん(67)  浪江町 三浦和加子さん(70)

 5年前、福島県の無数の住民は何も知らされないまま、東京電力福島第一原発に普通の暮らしを根こそぎ奪われた。東京新聞は25日、東京都千代田区の本社に避難者ら7人を招き、事故で強いられた苦難や生活再建への状況などを聴いた。その時の模様をお伝えする。(原発取材班)

事故発生当時の様子や生活再建の現状などを聴く本紙記者(手前)=東京都千代田区の東京新聞で

■テレビ見て事故知った ■危機的状況知らず避難

 出席者は原発事故のことを何も知らされず、せいぜい数日のことと思い、着の身着のままで避難した。
 三月十一日の大地震後、大熊町の女性(57)はスピーカーから「原発は安全に停止しました」という声を聞き、「大変な地震だったけど、大丈夫だったんだろうな」と一安心。翌朝、「発電所がちょっと不安定な状態なので、念のため避難するという放送があった」というが、原発が危機的な状況にあることは知らされないまま避難となった。
 原発の北約八キロに住んでいた浪江町の三浦さんは十二日朝、「車で走っていると、防護マスクの人が道路に立っていた」のを見て異変を感じた。津波が再来する危険もあり、お金だけ持って避難。原発事故のことは、十四日朝にテレビを見て初めて知った。
 藤原さんはスピーカーの呼び掛けで、十二日に川内村方面に避難を始めたが、「電気や水道がだめだからちょっと避難してということだろう」と思っていた。同日夜、避難先でテレビを見て事故を知った。
 山内さんは十二日夕、避難先で「原発で何かあったらしい」といううわさを聞いたが、都内に住む兄から「おまえのいる所は原発事故で危ない」と電話で促され、都内へ車を走らせた。

浪江町から茨城県つくば市に移住した三浦和加子さん

■いまだに毎日悲しい

 避難は各地で大混乱、大渋滞を起こした。
 藤原さん夫婦は、十人ぐらいで、指示された川内村の避難所に向かったが、満杯で入れなかった。北西に転進し川俣町に行ったが、避難所は大熊町民用で断られた。出席した大熊町の女性は「町民の私も、町が手配した避難所は満杯で入れなかった」と話した。
 困った藤原さんは南下し三カ所目の三春町で、ようやく受け入れてもらえた。「私たちで打ち切られてしまった。トイレがない避難所に入った人はかわいそうで、校庭に穴を掘って用を足していた」
 三浦さんは、夫と車で息子がいる新潟県長岡市に向かおうとしたが、カーナビの使い方に習熟しておらず何度も迷った。「雪の中で偶然、長岡ナンバーの車が通りかかり、追いかけた。だから着けた」。息子に会えたのは、事故から一週間後だった。
 兄が住む東京都葛飾区に避難した山内さんは「娘が四月から近くの中学校に世話になったが、親として新しいものをそろえてあげたい。よその人の名前が書いてある運動着を着せ、それが一番つらかった」と、声を詰まらせた。妻の敬子さんも「なんで逃げているか分からないまま、避難を繰り返し、人格が否定されたというか、家にも帰れず仕事もできない。いまだに毎日、悲しいんですよね」と心労は続いている。
 藤原さんは「被災一年目は、どこでも大変だねと言われるが、二年目は手のひらを返されてしまう。(避難住民が多い福島県)いわき市でも、いざこざになっている」と嘆いた。

富岡町からいわき市に移住した藤原和詮さん、栄子さん夫妻

■実態合う施策少ない

 「ずっと、どこに行くのか、どうやって生活していくのかって…」
 三浦さんは避難先を八カ所も転々としていたころのことを話しながら、思わず涙ぐんだ。
 一時帰宅した際、荒れた家や町を見て、もう戻れないと確信。茨城県つくば市に娘たちとローンで二世帯住宅を建て、ようやく落ち着き、友達もできた。「ああ、ここにいられるんだ。足を伸ばせるんだって」と話した。
 藤原さんも、妻の母親(89)が避難先のアパートで弱り、「自分の家で死にたい」と言い始めたのを機に二年前、いわき市内に家を建てた。夫は「ばあちゃんの気力が全然違う。私たちは子どもが独立し、(移住を)決断できたが、若い人は子どもがいるし大変」と話した。
 その言葉通り、苦悩を続ける一例が山内さんだ。楢葉町で二十年以上そば屋を営み、食器も地元の相馬焼にこだわった。その店は、原発事故で汚された。
 どこに住み、どこで再起するか。夫は「自分で建てた店は壊したくない。お母さん(妻)の前で言うと怒られるけど、福島で店をやりたい」と本心を明かした。しかし、避難指示が解除されても楢葉町にほとんど住民は戻っていない。「夜は真っ暗。夜は仕事にならない」ことも知っている。
 妻は、夫が苦しんでいることを理解しつつ、福島での再起に不安を覚えている。「いわきは土地代も上がり、以前と雰囲気が変わった。東京でもどこでもチャンスがあれば。店を始めるには、大きな資金が…」と複雑な心境を明かした。よさそうな物件の話を聞くと、二人で広く見て回っている。
 新潟県柏崎市で避難者を支援してきた増田さんは、政府の帰還推進方針に「帰れる状態ではない所に、帰れと言われている。原発事故後、現状に合う形に整えられたものがいくつあるでしょうか」と疑問視。元の住所と避難先の両方で住民登録ができるようにするなど、実態に合った施策を進めるべきだと主張した。

楢葉町でそば屋を営んでいた山内悟さん、敬子さん夫妻

■区域外からの避難者(いわゆる自主避難者)は出られず

 今回、本紙は避難指示に基づかない自主避難者にも参加をお願いしたが、実現しなかった。
 取材してきた小林由比記者が「『人前に出るのは難しい。今生活している所で避難者だとあまり言っていない』と言われた。同じ被災者なのに、つらいとどこでも言えていなかったりする」と報告した。

新潟県柏崎市で避難者を支援している増田昌子さん

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