連載「チェルノブイリ原発事故 30年後の現実」 (3)終わらぬ戦い

子どもたちも疾患に苦しみ

 事故と戦ったのは消防士や兵士、作業員ら「リクビダートル(収束作業員)」だけではない。被ばくして倒れた作業員を病院に運んだ看護師や、作業員の子どもたちの戦いも続いている。
 ナディエージダ・ダシコー(60)は、原発から百キロほど離れた、首都キエフ近郊の街ビーシュホロドで看護師をしていた。事故の二日後、病院の指示で原発近くのチェルノブイリ市に派遣された。半年前に次男を産んだばかり。家計が厳しく、行けば収入が増えるという話も魅力だった。
 先に派遣されていた別の看護師と交代し、収束作業中に大量被ばくした作業員を、原発近くから病院に搬送するのに付き添った。別の日には、高濃度に汚染された三十キロ圏内から避難する住民にも同行した。
 二年後、キエフに戻って看護師を続けていると、強い虚脱感に悩まされるようになった。異常にやせ、すぐに疲れる。事故後初めて診察を受けた。「甲状腺に問題がある。ほっておくとがんになる」と診断され、摘出に踏み切った。
 「チェルノブイリに派遣された時に、たくさん被ばくしたのが病気の原因だと思う。うちは長生きの家系で、私も体が丈夫だったのに…」
 今も定期的な検診と薬が欠かせない。脳卒中で倒れたこともある。事故の五年後に生まれた長女ユリア(24)は、靴店の店長をしているが、抵抗力が弱く、体がだるいと訴える。
 元女性警察官のオリガ・レドバニューク(36)は事故当時六歳。父親が原発で働いていて、作業員の街プリピャチに住んでいた。父親は今、血管や心臓を患っているものの、キエフの団地で一緒に暮らす。彼女自身も健康だ。ただ、三人の息子が心配だ。
 長男(19)と次男(14)は心臓を患い、血圧が下がって意識を失うこともある。三男イリヤ(7つ)は生まれつき心臓などに障害があり、抵抗力も弱く、外出もままならない。
 子どもたちを世話するため、レドバニュークはやむなく警察を辞めた。生活費は両親の年金と三男の障害者年金が頼みの綱だ。
 キエフの専門家は、親の被ばくと、子どもの疾患との関係は「三十年たった今でも分からない」と首を振った。レドバニュークが嘆く。「子どもの健康のために何をすればいいのか…。神様に祈るしかないのでしょうか」(敬称略)

■福島では 甲状腺がん115人確認

 原発事故による被ばくと疾患との関係は、チェルノブイリと同様にはっきりしない。
 福島県は事故当時18歳以下だった38万人を対象に甲状腺検査を続け、これまでに115人に甲状腺がんが見つかった。県は「被ばくとの因果関係は考えにくい」との見方を変えていないが、「被ばくの影響だ」と指摘する専門家もいる。
 甲状腺がんは早期に発見し、適切に治療すれば大事に至る確率は低いとされる。ただ、被ばくと他のがんや白血病などの影響は判然とせず、検査を続けることが不可欠となっている。

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