政府関係者らの調書要旨(下)

 【細野豪志 首相補佐官】

 -東日本大震災が起きた直後の状況は。
 「すぐに官邸に入り、寺田学・首相補佐官と情報を整理して菅首相に情報をあげるということをやっていた。後に津波と地震と原発(の担当)を分けようと話をして、私が割とエネルギー政策をやっていたので原発、寺田君は津波という役回りにした」
 -官邸の対策室は五階と地下にあったが、情報交換できていたのか。
 「原発事故の対策は五階だと認識して、何とか発電所(の事故)を収めようとしていた。だが、ヨウ素剤や避難の順番について五階は情報をほとんど持っておらず、機微にやりとりする雰囲気ではなかった。もう少しそちらをしっかりやっておいた方がよかった」
 -官邸と東電本店、現場の意思疎通に問題はなかったか。
 「事故当初は保安院にも情報が入らず、東電本店と現場も意思疎通できていなかった。それを補うには官邸でやるしかないだろうと。東電の主な人間を官邸に呼び、吉田所長と電話でやりとりした判断は間違っていなかった」
 -1号機ベントについて官邸の指示と東電の動きに矛盾はなかったか。
 「原子炉の蒸気を外部放出するベントがなかなか実行されないので、東電が何を考えているのか、疑心暗鬼で分からなかった部分があった。十二日の朝の四時とか五時には、なんでやらないんだという話になっていた。どうもできなかったようだが、やれるみたいなことを聞いていたから、フラストレーションがあった」
 -菅首相が原発を視察した経緯は。
 「十一日午後十一時ごろ、首相が現地に行くと言い出した。あの首相にスイッチが入った。指揮官が離れるということに関して反対だったが、一方で絶対行くと思った。(菅氏の)当事者意識とか、ここをなんとか乗り越えなければならないという念の強さみたいなものは、三月二十日ぐらいまではプラスに働いたとみている。ベントを遅らせていないのであれば行ってよかった。今から考えたら大きなリスクだった」
 -菅首相が1号機への海水注入を止めたという話が出ているが。
 「十二日の夕方に海水注入が始まった直後、首相が再臨界の危険はないのかと言い出した。そんなことがあるのかなと思ったが、班目(春樹・原子力安全委員長)さんがあり得るというようなことを言ったので、すごく驚いた。一時間ぐらい議論して、七時半ごろ注入にゴーを出したが、その時点では入っていないと思っていた。(実際は既に始まっていた注入を)東電本店が止めろと言ったが、福島第一原発の吉田所長は止めていなかった」
 -1号機の放射線量が異常に高くなったことから炉心溶融を疑わなかったのか。
 「十二日の朝方には放射線量が上がっていたので、燃料が溶けているだろうと認識していた。溶けていることは間違いないけれども、程度は分からない」
 -記者会見で正確な情報を出さなかったと国民は疑念を持っている。
 「スタンスとして、分かったことを正確に話そうという雰囲気だった。『炉心溶融の可能性もあるけれどもわからない』と説明するのが、正しいリスクコミュニケーションだった」
 -枝野官房長官が記者会見で「ただちに影響はない」と述べた。
 「会見を一回も見ていないので、どういう経緯で言っていたかはわからない。ずっと一緒にいたわけではない」
 -1号機が水素爆発した時の状況は。
 「この爆発は何かということが分からなかった。テロかもしれないという話まで出た。基本的に爆発の前後で周辺の放射線量が変わっていないのですごくほっとした」
 -3号機が爆発する懸念は事前段階であったのか。
 「強く持っていた。だが水素が抜けなかったので、水を入れてできるだけ水素が出ないようにするしかなかった」
 -爆発を知ったのは。
 「瞬時に分かった。3号機の水素爆発のあたりから、周辺の放射線量が上がってきたので、本当にこれはまずいと思った。本当に制御できないかもしれないと思った」
 -吉田所長との電話連絡は。
 「十四日くらいまでに、本当にシビアな時だけ私から吉田さんに電話をかけて首相につないでいた。十四日夕方、2号機の水が入らなかった時に吉田さんからかかってきて、これまで『いや大丈夫です』『まだやれる』という返事だった人が弱気になっていたから、これは本当に駄目かもしれないと思った」
 -菅首相は東電の全面撤退を疑っていたが、東電は撤退の意図を否定している。
 「清水正孝社長から海江田経済産業相に電話があり、海江田さんは完全に撤退すると解釈していた。電話後、海江田さんがそういう話をしていた。(官邸に詰めていた)武黒一郎・東電フェローもしょんぼりして『もう何もできません』みたいな話をした。一番の専門家の班目さんも『もう手はないから撤退やむなし』と言ったのはがくぜんとした」
 -吉田所長は、全員が現場を離れる指示はしていないと説明している。
 「吉田さんが言っているのならば信じるが、(当時の官邸は)そうはとっていなかった」
 -四月四日の汚染水の海洋放出に、一日時点では反対だったようだが。
 「薄いからといって放出するというのは何事だと東電に言った。だが次の日に濃い水が出ているのが分かって止まらなかった。濃い水をどこかへ移すには薄い水(の放出)はやむを得ないと、三日の段階で判断を変えた。実質的には海洋放出は私の判断だ」
 -原発の過酷事故、津波対策をどう思うか。
 「多重防護にはなっているが多様性がなく、本気でこういうことがあったらどうかと考えているように見えない。東電にはいろんなことを言い合って改善していく風通しの良さがない。原子力安全・保安院は電力会社の人間を凌駕(りょうが)する知識、能力がなく、資源エネルギー庁と密接不可分、全くイコールといってもいいくらいだ」

 【海江田万里 経済産業相】

 -(福島第一原発の)1号機ベントの話が最初に出てきたのは。
 「原子炉圧力容器が破損という予想を聞き、ではどうすればいいのかという話になった。ウエットベントは水を通すから大気中に広がる放射性物質はそれほど多くないのではないかと。では、とにかくベントをやってくれと」
 -ベントを行うと記者会見をした後、手間取ったことにいら立ちは。
 「何でベントができないのだろうかとずっと思って、吉田所長と直接電話で話した。『全力を挙げてやります』と」
 -菅首相が第一原発に行くと聞いた所感は。
 「この原子力の問題で責任を果たさなければいけないのは、自分一人しか今、官邸にはいなくなったなと思いました」
 -東京電力が海水注入をためらっていると思った根拠は。
 「海水を入れれば当然炉が傷むから、もうこれは廃炉です。『いつまでもやらないなら命令するぞ』ということは何回か発言した。東電本店の指揮命令はどうなっているのかと思った。こちらがベントでわあっとなっている時に清水さんから電話がかかってきて『自分は名古屋にいる。自衛隊の飛行機を飛ばしてくれ』という話になり『プライベートセスナでも何でもいいからとにかく借りて帰ってきて』と言った。本当に当事者能力があるのかなと」
 -東電撤退の話は誰から聞いたのか。
 「清水社長からの電話ですね。ぼくが覚えているのは『撤退』ではなく『退避』という言葉。第一原発から第二原発に退避」
 -どう反応した。
 「そばにいた人に『どうなる』と聞いた。『第一原発は5号、6号を含め全部爆発ですよ』と。そういう話を聞いたから『それ(退避)は無理だ』と言った。『だめだ』というより『何とか残ってください』という言い方だったと思う」
 -官邸では全員第一原発から退避するとの認識か。
 「ぼくは全員だと思った。(その後清水社長を官邸に呼び)『一部は残そうと思っていた』と言っていた」
 -事故対応の中で、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)が避難に使えるのかという話は。
 「全く、全くない」
 -SPEEDIを情報公開するかどうかを(班目)委員長は指示したのか。
 「いや、していない」
 -事故を振り返って。中央と現地の役割分担は。
 「住民の避難や生活支援は現地でやった方がいい。撤退とか退避とか作業員とか、現地では判断できないから、そういう中央が判断する部分も当然あってしかるべきだ」
 -中央の現地情報の把握や原子力安全・保安院の役割(を果たすこと)が不十分だったのでは。
 「全くその通りだ。統合本部として東電に緊急避難的に乗り込んだが、やはり東電にもいろいろ気を使う。経済産業省や保安院に統合本部があり、現地の情報を共有し、議論して決めても良かった」

 【近藤駿介 原子力委員会委員長】

 -最悪シナリオの作成経緯は。
 「三月二十二日に総理執務室で細野首相補佐官、寺坂信昭原子力安全・保安院院長同席で、菅首相から班目春樹原子力安全委員会委員長と私に、『事態が落ち着いたので最悪シナリオを知りたい。考えてくれないか』と言われた。私からは『今起きていることがまさに最悪のことと思いますが、現状でさらに都合の悪いことが起きたらどうなるか、二、三日で何か用意してみましょう』と申し上げた。本来であればそのような最悪シナリオは三月十六日の一番危機だったときにつくるべきなのにと思った」
 「依頼を受けた二十二日には、プラントは十六日よりはるかに安定し、状況が理解できていた。二十五日夕刻にはこのメモを細野補佐官に提出した。このシナリオは、私個人として現場で指揮する細野補佐官に注意すべきことを伝えるためにつくった。公表を前提にするなら、きちんと体裁を整えた文書にしたと思う」
 「二十二日の段階になると、起きて欲しくないのは、事態沈静化に努める作業者が接近できなくなることに絞られた。その可能性の第一は、4号機の使用済み燃料プールの底部の強度が劣化している懸念があり、大きな余震で損傷して保有水が失われ、プール内の燃料が冷却できない状況になること。第二は水素爆発。『いつどこでもポンポン水素爆発が起きると考えて行動するべきだ』とは申し上げていたが、格納容器の内部での水素爆発は、放射性物質が付着した構造物などが付近に飛散することになりそうでいやだった」

 【長島昭久 民主党衆院議員】

 -いつから原発事故にかかわったのか。
 「三月十七日に細野補佐官から海外協力の問題で間に入ってと話がありました。十八日朝、米原子力規制委員会(NRC)の人が東電の統合対策本部に来て『どこへ行けば正確な情報が入るのか、非常に困っている』と。そこで日米の情報共有の場を作り、一回目が二十二日に開かれた」
 -それまで米国にほとんど情報が入っていなかった。なぜか。
 「日本の官邸における情報集約機能が弱いということです。縦割りなのです。日本側には当時(情報を)隠す意図はなかったと思います。SPEEDI以外は」

 【森山善範 文部科学省大臣官房審議官】

 -二〇〇九年の保安院の津波問題の認識は。
 「〇九年に開催された保安院の専門委員会で委員からの指摘で、(平安時代に起きた)貞観地震・津波のことを知った。だが、波高が何メートルになるかを尋ねたことはない。まださまざまな知見が集積しつつある段階だと認識していた」
 -貞観津波の問題を専門家の検討会での議論に付そうとしなかったのは、重要な問題と認識していなかったからでは。
 「なぜだか自分でもよく分かりません。土木学会原子力土木委員会津波評価部会による津波評価技術に基づく評価では、福島原発における想定波高が五メートル台であり、四メートル盤に設置されている海水ポンプに水がかかってしまうことから、設計に余裕がないという認識を持っていた」

 【松浦祥次郎 原子力安全研究協会理事長】
 <二〇〇〇年四月から〇六年四月まで原子力安全委員会の委員長を務めた>
 「(福島第一原発の)事故は、自分の原子力についての全人生に対して大きな疑問符を突きつけられる、または否定されるような事態であり、非常にショックで遺憾である」
 「(非常用電源が津波で故障しないように、水が入ってこない構造の)水密にすることはできた可能性はなかったとは言えない。(水密にしなかったのは)米国のスタンダードを入れたことに遠因があると思う。米国の原発は海岸ではなく大河のほとりに建設しており、(福島第一原発と同じく)タービン建屋に非常用電源を入れている」

 【首藤伸夫 東北大名誉教授】

 -土木学会原子力土木委員会津波評価部会で、波高評価の不確実性と防水対策の重要性について(部会が策定した)津波評価技術に書き添えることは考えなかったのか。
 「考えなかった。きちんとした証拠のないものや、例えば千年に一度かどうかも分からないようなものを対象に(電力会社が)設備投資したいと主張しても(電力会社の)株主は納得しない」
 -万一への備えとして(原発を)防水化することを、なぜ津波評価技術に書けなかったのか。
 「電力会社は、いったんできあがったものの改良を行うことを嫌う。設置許認可の変更は、目立つので敬遠される傾向がある」

【鈴木篤之 日本原子力研究開発機構理事長】

<二〇〇六年四月から一〇年四月まで、原発の安全性を審査する内閣府原子力安全委員会(当時)の委員長を務めた>
 「耐震指針において、津波については詳しい方に委員になってもらっていないし、わずかな記述しかないなどメーンイシュー(主要課題)ではなかった。自然現象は確率に頼ってはダメで、いろいろなことを過度なまでに用意しておかなければいけない」
 「〇二年の東電の不祥事を受けて溶接検査の結果まで安全委員会に報告することになり、規制は形骸化していると思った」

 【藤城俊夫 高度情報科学技術研究機構参与】

 -外的事象によるアクシデントマネジメント(AM)の議論をどう思うか。
 「日本の感覚では、最も起こりにくい、リスクの発生頻度の低いものにはそれほど注意を向けない。アメリカでは事業者が自身のメリットと考えて主体的にやる。日本の場合はどうしてもお上の言うことに従ってその通りにやろうとする。安全委員会の指針以上のことまで深く突っ込んで対策しようとしない」
 -どうやったら危機感を持って対応できるのか。
 「テロが典型で、外部電源のネットワークを壊せば、長期の外部電源喪失もあり得る。真剣に考えると相当な装備が必要だ。アメリカでは率先してやっているが、こうした備えは本来、事業者が結果的に損害を補償する立場なのだから、それを自覚して自らやっていくのが基本だと思う」

関連記事