被災地医療の灯消すな 避難指示後も診療 81歳院長の死

 東京電力福島第一原発事故で避難指示が出た後も福島県広野町に残り、患者の診療を続けた高野病院の高野英男院長(81)が昨年末、自宅の火災で亡くなった。第一原発から二十二キロ。双葉郡八町村で唯一診療を続けた病院で、高野さんはたった一人の常勤医だった。「院長が残した地域医療の灯を消すな」と残された職員やボランティア医師らの奮闘が始まっている。(片山夏子)

原発事故後も、患者の診療を続けてきた高野病院=福島県広野町で

支えるボランティア医師

 「『どんな時でも自分のできることを粛々と』という院長の言葉は遺言になってしまったけれど、この地域の医療を守るのには皆さんの力が必要です」
 元日の朝、高野さんの次女で病院理事長の己保(みお)さん(49)は出勤した約三十人の職員に呼び掛けた。
 高野さんが亡くなったのは先月三十日。いつものように病院で診察し、夕方、隣接する自宅に戻った。一一九番通報があったのは午後十時半のことだった。
 緊急事態に、広野町と南相馬市立総合病院の医師らはすぐさま支援する会を立ち上げ、協力医師を募った。全国からボランティアで集まった医師二十人と、震災前から病院を支える杏林大(東京都)の非常勤医師らで急場をしのぐ態勢はできた。県や国も支援の動きをみせているが、医療法などで病院存続に必要な常勤医確保のめどはたたない。
 病院には約百人の入院患者がいて、原発作業員らの救急医療も担ってきた。避難区域が解除される中、故郷に戻る人々の診療も期待されている。支援する会の坪倉正治医師(35)は「地域が高齢化する中で高野病院は必要。事故後も地域医療を守ってきたほかの医師の士気にも関わる」と話す。病院の看護師清水みさえさん(53)は「患者第一に考え、どんなに休んでと言っても休まなかった」という高野さんの遺志を継ぎ、働き続ける決心をした。
 三年前から入院する大和田チカ子さん(85)は「先生はいなくなっちゃったけど、ここにいたい」とタオルで涙をぬぐう。己保さんは「院長の心残りは何よりも患者さんやスタッフ、この地域の医療の行く末だったと思う。それだけは何としても守りたい」と力を込めた。

高野英男院長

忘れられない高野院長の言葉 「美談なんかじゃない」

 高野英男院長=写真=を初めて取材したのは、福島特別支局在任時の二〇一三年十一月。原発事故後、避難せずに診療を続けた行為を「美談なんかじゃない」と言ったのが忘れられない。
 やむにやまれぬ判断だった。一一年三月十一日の震災当時、精神科と内科に約百人の入院患者がいた。寝たきりで、移送に耐えられそうにない高齢者もいた。
 病院は海岸に近い丘の上にある。震災の日、津波で停電、断水も起きた。その夜、がれきで埋まった真っ暗な道を夜勤の看護師四人が出勤した。
 広野町は十三日に全町避難を決めた。給食の作り手がいなくなると、入院患者の家族らが手伝った。隣町のスーパーの経営者は、店の裏口の鍵を渡してくれた。非常勤医師を派遣していた杏林大は、跡見裕学長が先頭に立って支援した。消防団、自衛隊、東北電力の社員…。多くの人が支えた。(論説委員・井上能行)

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