現場 板挟み「出口なし」 賠償「手厚く」上司は「甘い」

 東京電力で福島第一原発事故の賠償業務を担当していた社員の一井唯史さんが激務でうつ病になったと、労災申請をした。少しでも多く被害者に償いをしたい心情と、どうにもならない賠償基準のはざまで苦しんだ。多くの同僚が辞める中で、新たな仕事が増え、ついに病気になって働けなくなったという。東電は事故を起こした当事者だが、社内に踏みとどまり、責任を果たそうとする社員の中には、厳しい状況にある人も少なくない。(片山夏子)

「忙しすぎて倒れそうだ」。一井さんの携帯電話には、母親に送ったメールが残っていた(一部画像処理)

審査

 この日、厚生労働省で記者会見した一井さんは「少しでも多く賠償したいと思ったが、会社(東電)との間で板挟みになった」と苦しい心情を明かした。
 賠償金額の審査を担当したときは、金額が高額になるほど、上司から「審査が甘い。ちゃんとしろ」とチェックが厳しくなり、削られたという。審査内容や賠償金額に納得しない企業担当者からの電話窓口だった時は「審査内容や金額を変更する権限がなく、ひたすら謝り、聞くことしかできないのがつらかった」と話した。
 休職に追い込まれる半年ほど前からは睡眠時間が三、四時間に。「仕事が次々押し寄せてきて気が狂いそうだった。休職した時、これでやっと休めるとほっとした」と語った。

失望

 原発事故で東電は社会的信用を失い、社員の士気は落ちた。その一方で、計画停電や福島第一での事故収束、自治体への謝罪、被害者への賠償問題などやるべきことは山積みだった。次々と社員が会社を去り、残された社員の仕事はさらにきつくなった。
 依願退職者は二〇一一年度は前年度の三倍の四百六十五人になった。一二年度は七百十二人、一三年度は四百八十八人、一四年度は希望退職を募ったこともあり、千五百三十二人にまで増えた。
 福島で働く男性社員は「二十代の若手から辞め始めて、三、四十代、五十代と、辞める社員の年齢層が広がっていった」と振り返った。
 東電は二〇一二年、福島第一原発の避難区域に住んでいて、持ち家のない東電社員の精神的苦痛への賠償を打ち切るという基本的な考えを示した。その時は、被災した社員やそれ以外の社員からも失望の声が上がったという。
 この男性社員は「福島第一では、社員も命懸けで事故を食い止めようと必死に作業をしたのに。社員の士気が下がり、辞めていった人もいる」と話す。

労災申請をした一井唯史さん=31日、東京・霞が関の厚労省で

過重

 男性社員は「会社に残って懸命に仕事をしても、事故を起こした東電の社員だと責められるのは、つらかった」と明かす。福島で住民対応の窓口担当者の中にも、悩み、うつ状態になり、休職したり辞めていった人もいた。
 事故から五年半がたった今も、うつ病や体調を崩して休職し、辞めていく社員がいる。一井さんの同僚にも三年間休職した後、解雇された人がいる。
 「社員も人間。賠償の対応などに当たる社員はものすごいストレスと過重労働で体調を崩す人がいる。それを会社はどう考えているのだろうか」と一井さん。別の社員は「事故後、ずっと全速力で走ってきた。一つやると、また新たに次の問題が出てくる。出口が見えない」と語った。

賠償激務 うつ病に 東電社員が労災申請

 東京電力福島第一原発事故の賠償業務の激務でうつ病になったとして、社員の一井唯史(いちいただふみ)さん(35)=東京都=が三十一日、中央労働基準監督署(東京)に労災申請をした。
 一井さんによると、自身は二〇一一年九月から、原発事故による放射能被害で休業や廃業、移転を迫られた企業や個人事業主の賠償を担当。賠償額などに納得してもらえない場合の電話対応が主な業務だった。その後、賠償基準の適用の仕方を社員にアドバイスする担当になった。夜も眠れなくなって睡眠不足になった。
 一三年六月から、朝起きられない、吐き気がするなどの症状が出始め、一三年九月、医師からうつ病と診断された。休職に追い込まれた。
 東電に労災を訴えたが、話は進まず、自ら申請するしかなかった。一井さんは「体調が悪い中で、自分で証拠を集めて立証しないと労災申請ができない。激務でうつ病になったのに、私病扱いになっているのはつらく、ずっと思い悩んできた」と語った。
 東電の広瀬直己(なおみ)社長はこの日の決算会見で、「対応は真摯(しんし)にする。労働時間の管理はやっているつもり。福島の皆さんに迷惑を掛けている中で賠償はしっかりやらないと。業務が円滑に進むよう、必要な要員配置と体制の整備は今後もしていく」と話した。

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