福島・南相馬避難指示解除 帰っても再建遠く

 東京電力福島第一原発事故で福島県南相馬市に出されていた避難指示が、十二日解除された。復興ムードが高まる市街地とは対照的に、山に近い集落では今なお放射線量が高く、事故の影響は残る。住民は自宅に帰っても、ゼロからの生活再建を迫られている。 (大野孝志)

運転再開した、JR常磐線原ノ町-小高

 この日は、東日本大震災後に不通となっていたJR常磐線原ノ町-小高間の運転が再開した。解除区域の人口は三千四百八十七世帯一万八百七人で、二〇一四年四月以降の解除で最多。一世帯二人が住んでいた帰還困難区域は解除されずに残る。
 ほとんどの市民が、形の上では帰還できるようになったが、帰還に向け自宅への準備宿泊を登録していたのは二割ほど。売り上げが見込めないことや経営者の高齢化から、多くの店が閉じ、空き地も目立つ。
 商店街の放射線量は毎時〇・一五マイクロシーベルト(ミリシーベルトの千分の一)で、国の除染の長期目標(〇・二三マイクロシーベルト)よりも低い。市の南西部、山に近づくにつれて線量は上がり、一マイクロシーベルトを超える場所もあった。
 市街地から車で十分ほどの集落では、八十世帯のうち、農業門馬一雄さん(75)と信子さん(73)の夫婦だけが自宅に戻っていた。
 市内の仮設住宅に避難していたが、賠償の格差や、自宅に帰れるかどうかで住民の間がぎくしゃくし、仮設を出たかった。事故前は息子夫婦と小学生の孫が同居していたが、市外に移住し、老夫婦だけの寂しい帰還となった。
 二人だけなら、年金でなんとか暮らせそうだ。生活のためにも、野菜は自分で育てたものを食べたい。だが、畑は除染のため表土をはいだ後に入れた山砂が石だらけで、農地としてはまだ使えない。やむなく裏手の屋敷林を開墾した。暑さの中、木の根の除去など高齢の夫婦にとって厳しい作業だった。稲作は「二人では無理」とあきらめた。
 周りではイノシシがわが物顔で走り回る。作物は市役所で検査後に口にする。「汚染が心配だから孫には送らない。食わしてやりたいけど…」と信子さん。避難指示は解除されても、原発事故の影はつきまとう。

自分たちで食べる野菜を作るため、屋敷林の開墾から畑づくりをした門馬信子さん=12日、福島県南相馬市で

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