調書は語る 吉田所長の証言 (7)  複数炉が暴走 負の連鎖 被ばくしてホース交換

 東京電力福島第一原発3号機の水素爆発は、さあ2号機にも注水開始という段階で、海水注入のホースを吹き飛ばし、消防車も損傷させた。死者こそ出なかったが、けが人が発生。混乱の中、かろうじて冷却が続いていた2号機の状態は急速に悪化していく。危機が連鎖する複数炉の問題点を見せつけた。(肩書はいずれも当時)

爆発で注水ズタズタ

 <吉田昌郎(まさお)所長は、やがては2号機の非常用冷却装置が止まると考え、既に3号機が危険な状態の中、前日の十三日午後、「ジジイの決死隊」(吉田氏)を編成して2号機にホースをつなぎ、海水注入の準備を終えた。その努力は3号機の爆発で吹き飛んだ。十一人の負傷者が出たが、作業は山積している。格納容器は破裂していないとの判断で、作業員たちはもう一度、現場に出た>
 -再開はどういう判断。
 「1号機のときと同じく、爆発しているわけですから、注水ラインだとか、いろんなラインが死んでしまっている可能性が高いわけですね。それ以外のいろんな機器も壊れている可能性が高い。全員集めて、『注水が今、止まっているだろうし、2号機の注水の準備をしないといけない。ほっておくともっとひどい状態になる。もう一度現場に行って。ただ現場は多分、がれきの山になっている。がれきの撤去と、必要最小限の注水のためのホースの取り換えだとか、注水の準備に即応してくれ』と頭を下げて頼んだんです。そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです。段取りして出て行って。そのときですよ、ほとんどの人間は過剰被ばくに近い被ばくをしてホースを取り換えたりとかですね。やっとそれで間に合って、(3号機は)海水注入が十六時三十分に再開できたんです」
 -爆発の後、限られた人材や物資をどこに優先的にと考えていたか。
 「やはり注水ですね。もう全部です。結局、1、3号機についていうと、燃料露出させてしまったんで、しょうがない。水を入れるしかないということで、極力継続して水を入れるというのと、2号機は、できれば(核燃料が水から露出し始める)TAFに行く前に水を入れたくてしょうがなかったんです。そのための準備を早くしようと、このポイントは最大のポイントだと思います」

再構築で時間ロス

 <こうした現場の努力にもかかわらず、3号機の水素爆発からわずか一時間ほど後、2号機の原子炉の水位が低下。吉田氏が恐れた通り、何日も炉内の熱と水蒸気の力で動き続けてきた非常用冷却装置(RCIC)が止まった>
 -まだRCICは作動中という判断だったわけか。
 「はい」
 -RCICがだめだと思ったのは、水位計の水位が下がり始めていた十四日昼ぐらいからか。
 「そうです。2号機は水位が十分にある間に減圧注水すれば、3号機や1号機みたいにぎりぎりにならずに済むので、早く注水したいと思っていたわけです。そこで3号機の爆発が起こって、やっと構築した2号機の注水ラインが飛んでいるわけです。そこから復旧にかかるわけですから、これは完全なるロスタイムになっていますから。あれがなければ、そのまま昼ぐらいに減圧して注水することも考えていました」
 -それは1号機の爆発の経験があったからか。
 「なるべく早く、水位があるうちに早めに注水すれば、(核燃料の)露出がミニマム(最小限)で済むというか、燃料を守れるだろうということで、準備はどんどん進めていました」

奮闘理解せぬ官邸、本店

 <吉田氏の言葉通り、現場は制御を失った三基を相手に奮闘。まさに時間との闘いの中、被ばくの危険も顧みず、何とか2号機の注水準備を再び整えた。だが、今度は炉内の圧力が高く、注水できない>
 「圧力が下がらない。下がらないところに水を入れても入らない。だから、圧力を下げるのが最優先で、ここでのミッションは注水なんです。ベント(排気)は、そのために圧力を逃がしておけば出やすいだろうと。官邸から電話がありまして、班目(まだらめ)(春樹原子力安全委員長)さんが出てきて、早く(ベント弁を)開放しろと。四の五の言わずに減圧、注水しろと。清水(正孝東電社長)がテレビ会議を聞いていて、『班目委員長の言うとおりにしろ』とかわめいていました。『現場も分からないのによく言うな、こいつは』と思いました」
 -電話があったときというのは、いきなり班目さん自身がかけてくるのか。
 「班目も名乗らないんだよ。あのオヤジはですね。もうパニクっている。何だこのおっさんは、と思って聞いていると、どうも班目先生らしいなと思って、何ですかという話をして。そうしたら『今はもう余裕がないから早く水を突っ込め、突っ込め』と言っているわけですよ。今、ベント操作しているんですけれども、という話をしたら、『ベントなどをやっている余裕はないから、早く突っ込め』と言っているんですよ」
 -電話の向こうにいた面々は、2号機が非常に危うい状況だということを認識していたのか。
 「と思います。ずっと前から1、3号機を優先しているという話をしているときから、官邸が『2号早くやれ、2号早くやれ』と言っていたわけですから。それで多分、その連中がデータを見て危ないと。(私としては)うるさいって言っているんだよ。こっちはやりたいんだ。当たり前だと。だけれども、条件が整っていないでしょうと。炉圧が上がるだとか下がるだとかいうことも初めての経験ですから、よくわからないという中でやっているわけですね」
 -現場としては、ベント準備が先決という感じか。
 「そのまま継続しようとしたんだけれども、できない(という)話が入ってくるんで、では減圧するしかないのかという話をしているときに、清水社長が、技術的内容を理解しているかどうか知りませんが『やりなさい』ということをおっしゃるわけですね」
 -今回の一連の事故対応の中で、清水社長が現場に「これをやれ」とかいうふうに言ったことは。
 「初めてではないですか。このとき」
 <吉田氏は、難しい作業に苦心する現場に対し、あまりに無理解な本店や官邸に憤りを募らせる>
 -圧力や温度を下げようと思っても、何もできない状況だ。
 「みんなそう思っている。私だって、早く水を入れたくてしょうがない。だけれども手順ってものがありますから、現場ではできる限りのことをやって、後がスムーズに行くようにと思っているんですけれども、なかなかそれが通じないんですね。ちゅうちょしていると思われているんです。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつはたたきのめしてやろうとか思っている。私は、菅(直人)首相にかかろうが何しようがいいんです、そんなことは。『早く圧力下げる、早く水入れる』と、これしか考えていないのに、あたかも現場がちゅうちょしたようなことを言うやつは全員、後で何か仕返ししてやろうと思っています。本当に。仕返ししてください。代わりに。よろしくお願いしますよ」
 <結局、2号機への海水注入ができたのは二十時近くになってから。吉田氏の当初の考えより八時間も遅れた。そして、本当の危機に突入していく>

◆その時、政府や東電は… 交代要員に心苦しさ

 3号機の水素爆発は、現場に出ていた作業員たちに生命の危機を感じさせた。東電の社内事故調の報告書では作業員たちの証言が記録されている。
 「すさまじい爆発音とともにほこりが舞って真っ白になった。乗ってきた車が吹っ飛んでいて本当に恐怖だった」
 「ガラガラと音がしてコンクリートが降ってきた。死ぬかと思った」
 2号機タービン建屋の入り口で、電源ケーブルを敷設していた男性は「煙を測ったら放射線量が毎時50ミリシーベルトあった。煙がなくなってから退避することにした。2号機と3号機の間は爆発のがれきがあって、よけながら走って逃げた。線量が100ミリシーベルトのところもあった」と語った。
 3、4号機の中央制御室にいた男性は「交代は来ないだろうと長期被ばくの死を覚悟した。交代が来てくれうれしくもあり、心苦しさもあった」と複雑な胸の内を語ったという。
 爆発は作業員の心だけでなく、2号機の設備類にも打撃を与えた。ベントにつながる電気設備が損傷して開けられなくなり、その後のベント作業をより苦しくさせた。
 注水に使える唯一の水源だった3号機前の堀も、落下したがれきで埋まってしまう。テレビ会議で、現場から「(堀周りの)線量が400から500(ミリシーベルト毎時)。いろんなものがあるから高いんで、平ブル(ブルドーザー)でがーっとしないことには…」と悲鳴が上がった。


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