ふくしまの10年 イチエフあの時 事故発生当初編 ⑨作業員 終わらぬ闘い

過熱した核燃料の熱でもうもうと水蒸気を上げる3号機(東電提供)

 「ここで死ぬのか」。2011年3月14日、東京電力福島第一原発(イチエフ)3号機が水素爆発した時、建屋に入ったばかりの作業員ハッピーさん(通称)は感じた。下から突き上げるような衝撃とともにすさまじい地響きがし、思わず尻もちを着いた。天井からはがれきがドカドカ落ちてきた。
 外に出ると黒煙が上っていた。がれきが散乱する中、必死で走り免震重要棟へ。白い防護服が血に染まった人や、粉じんで全身真っ黒になった人。戦場のようだった。その後、吉田昌郎(まさお)所長は「今までありがとうございました」と放送で呼びかけた。必要最低限の東電社員を残し、社外の作業員を退避させるためだった。ハッピーさんらは、いったん原発を離れた。
 松林の中、整然と建屋が並んでいた福島第一原発は見る影もなかった。1、3、4号機は水素爆発で無残な姿となり、原子炉建屋からは水蒸気が上っていた。あちこちに割れたコンクリートや曲がった鉄骨が散乱。
 結果的に2号機は格納容器の破裂という最悪の事態は避けられたが、状況は刻々と悪化していた。
 少し事態が落ち着いた段階で、作業員は次々と現場に戻り、外部電源の復旧やがれき撤去などに当たった。さらには、注入した冷却水が高濃度汚染水となって建屋地下にたまっているのが見つかる。新たな闘いの始まりだった。

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