ふくしまの10年 読者から ③放射能との闘いは続く

原爆慰霊碑の前で手を合わせる人たち=8月6日、広島市の平和記念公園で

 東京電力福島第一原発事故直後から被災地に入って取材した豊田直巳さんの軌跡をつづった「行ける所までとにかく行こう」(4月21日~5月16日)には広島の被爆2世、大浜冬樹さん(66)=京都市=からメールをいただきました。
 〈(広島の)被爆者の認定は今日も続いています。黒い雨の範囲も国との争いは続いています。これは放射能という見えないものとの闘いだからです。(中略)ふくしまの被ばくとの闘いは五十年、百年と続いていきます。そうした中での貴重な資料となります〉
 電話で話を聞きました。大浜さんの母親は爆心地から1・8㌔㍍で被爆。中学生だった母の弟は空襲に備えて、家屋を壊して空き地を作る「建物疎開」に動員されていました。遺体はいまだ行方不明で、外とうだけが見つかったそうです。母の妹も亡くなりました。大浜さんは奈良県で生まれ育ちましたが、夏休みなどに入院していた祖父母の見舞いなどでよく広島を訪れたそうです。
 中学校で教頭をしていた47歳の時、ウイルスが脊髄に入り、車いす生活になりました。その後もバリアフリーになっていた夜間中学で教員の仕事を59歳まで続けました。夜間中学には戦時下や戦後の混乱で読み書きを学ぶことができなかった人や在日の人たちも生徒として通っていました。戦争のことなど彼らから教えてもらうことも多かったといいます。
 この夏、広島地裁は、放射性物質を含んだ「黒い雨」をめぐり、国の援護対象区域外にいた原告84人を被爆者と認定する判決を出しました。国や広島県、広島市は控訴しました。
 「距離によって選別される。(原発からの距離によって賠償金などに差が出る)福島も同じ構図だと思います」
 (早川由紀美)

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