ふくしまの10年 新天地にそよぐ風 ②高齢者ばかり残されて

楢葉、富岡両町の避難住民は長い仮設住宅暮らしを強いられた=2016年4月、いわき市で

 鈴木みなみさん(29)は山形県北部の真室川町の出身。東日本大震災と原発事故が起きた2011年3月は、短大に通うため同県米沢市で暮らしていた。福島県との境にある米沢市には避難者が押し寄せてきた。家の近所にあった体育館は満杯状態だった。
 「何か役に立ちたくて、体育館の前を何度も行ったり来たりしました。でも声をかける方法すら知らなくて、情けなくて涙が出ました。今でもあの時のことを思い出して夜中に泣いたりするんです」
 短大卒業後に立命館大に進み、被災地支援に関心を抱いたのは、この経験が土台になっている。大学では授業の合間に、ボランティアバスで津波被災地に向かった。
 宮城県の男鹿半島の海岸でうちひしがれた中年の男性に出会った。男性は数枚の写真をくれた。写っていたのは流されていく男性の家だった。
 「ここに俺の家があったことを誰かに覚えていて欲しいって。その写真は今でも大切に持っています」
 「そよ風届け隊」を結成し、向かった福島県いわき市では、仮設住宅で故郷を追われた被災者の話に耳を傾けた。富岡、楢葉両町など福島第一原発の南側の自治体の住民がほとんどだった。
 一人暮らしの高齢者も多かった。もともとは、のんびりと大家族で暮らしていた人たちだったが、子育て世代の家族は遠くに逃れるケースが多かった。故郷の近くにこだわった高齢者ばかりが取り残されたのだ。
 鈴木さんは仲間と協力し、仮設住宅に即席の足湯をつくった。大きなやかんをコンロにかけて湯を沸かし、被災者に温まってもらう。並んで腰掛け、おじいちゃん、おばあちゃんの話に相づちを打っていると、次第に打ち解けて家族のようになった。

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