福島原発事故 緊迫の東電テレビ会議(下) 2号機

 RCICと呼ばれる非常用冷却装置が奇跡的に長時間動き続け、2号機は比較的安定していた。しかし、3号機の水素爆発からわずか二時間後の十四日午後一時すぎ、ついにRCICが停止。一気に事態が悪化した。

決死のベント一進一退

 「原子炉水位の低下が確認されました。また同じ思いをせざるを得なくなります。ぜひ協力してください」。吉田昌郎所長はこれ以上事故を拡大させまいと職員に呼び掛けた。
 予測では、核燃料が水から顔を出し始めるのは午後六時。だが、爆発で、冷却水の水源にしようとしていた3号機前の立て坑ががれきで埋まった。
 消防車とホースの配置を変え、代替の注水ルートを準備する間にも炉の水位は低下し、圧力は上昇してくる。遅くなるほど注水が難しくなる。
 圧力抑制室が高温のため、ベント(排気)をして状況を落ち着かせ、その後に蒸気逃がし弁(SR弁)を開けて炉圧を下げて注水しようと準備していた。
 午後四時すぎ、班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長から吉田所長に「ベントより先に注水すべきだ」との電話があった。
 現場からは「圧力抑制室の水温は一三〇度超。SR弁を開けても蒸気は水に戻らず減圧が見込めない。(注水もできず)炉の水だけが減っていく」と、班目氏の案に懸念が示された。だが、ベントの準備が遅れ、清水正孝社長が「班目先生の方式でいってください」と判断を下した。
 午後六時すぎ、ようやくSR弁が開くが、懸念した通り、炉の圧力が下がらず注水もできない。核燃料が露出し始め、午後六時二十二分に全露出。「ああ、もう早く(水が)入ってくれ」と祈るような声が上がった。
 二時間後には炉心溶融、四時間後に圧力容器が損傷-。こんな予測が出される中で福島のオフサイトセンターにいた小森明生常務は「退避基準を考えておかないといけない」と提案。本店では、退避する作業員らの収容先や輸送方法の検討に入った。
 「1と3(号機)も炉心溶融ですよね」「そういうことだ。注水できないんだから」「三基炉心溶融ですよね」と幹部同士がつぶやく声も聞こえてきた。
 午後九時二十二分、別のSR弁が開き、いったん核燃料の半分ほどが浸かるまで水位が回復。「おお!」「やったあ!」。現地対策本部も本店も拍手と歓声に包まれた。
 だが、喜びもつかの間。午後十一時前、炉圧が急上昇し、注水も絶望的に。「(SR弁が)閉まってる」「たぶんバッテリーだ」。二十分後には、再び核燃料が全露出した。
 さらに悪いことに、格納容器内の圧力が設計圧を通り越し、破裂する圧力に近づいた。残るは、高濃度の放射性物質をまき散らすが、容器内の汚染蒸気を直接ベントすることしかない。
 「壊れる」「やるしかない」「すぐやれ! 早く!」。恐怖と怒気が交錯した。
 翌十五日午前零時すぎ、テレビ会議の映像は、直接ベントの弁を開けようとするところで終わった。ベントの成否は不明だが、幸運にも圧力抑制室近くのどこかが損傷して圧力が抜け、格納容器が大破する最悪の事態だけは避けられた。

別の問題…フォローして

 原子炉への対応に追われる中、多数の使用済み核燃料が入ったプールの水温がどんどん上がり、核燃料がむき出しになる危険が忍び寄っていた。福島第一の現場も本店も認識はしていたが、後回しになった。
 「本店さん、本店さん、また別の問題が起きて、ちょっと対応する余力がないので、何とかフォローしてほしいんだけど」
 十三日午前八時二十五分、吉田所長が本店に泣きを入れた。「1号機のプールから湯気が出ている」との報告があったが、注水が止まった3号機に、いかに水を入れるかで手いっぱいだったからだ。
 プールの冷却は、ポンプで水を循環させながら熱交換器で除熱するが、電源を失うと、外から水を入れるほかない。しかし、原子炉の冷却水にも事欠くありさまだ。
 本店からは、山側から消防車で放水する案や、建屋の上からヘリで氷を投下する案も出されたが、水は足りないし、確保できる氷はプール容量が一基一千トン超なのに対してわずかしかない。「焼け石に水だ」との認識で一致し、放射能を恐れてヘリも手配できず、運ぶ途中だった氷の一部は福島第二の敷地内で解けてしまった。
 その後も時折、「各プールの温度が上昇している。迅速に対応する必要がある問題」として検討課題に挙がるが、そのたびに原子炉の状況が悪化し、うやむやになる展開が繰り返された。
 本格的な対応が始まったのは、映像の公開期間以降のことだ。プールからもうもうと水蒸気が上がり、まさに危険な状態になってからだった。

公開先の限定なぜ

 東京電力のテレビ会議システムは、本店と福島第一、福島第二、柏崎刈羽の各原発、事故時の対策拠点となるオフサイトセンターなどをつないでいる。
 特に音声つきの映像は、事故対応の生の様子が記録され、極めて重要な資料となる。声色などから事態がどれほど切迫していたのかも分かる。
 ベント配管の途中にある仕切り板が割れる設定圧力が高すぎ、早期のベントができずに苦しんだこと、現場は情報を積極的に出そうとしていたのに、本店や国の段階でおかしくなっていたことなどがよく分かった。
 だが、東電は事故時の録画・録音を義務付けていなかった。
 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「今から思えば重要な記録と分かるが、当時は事故対応に必死になっていた」と釈明。今後、社内マニュアルで録画・録音を義務付ける方針だ。
 今回、貴重な検証材料は報道関係者に限定して公開されたが、さまざまな立場、専門の人が見てこそ十分な教訓が得られる。
 東電は三月十六日以降のテレビ会議映像も公開する方向で検討しているというが、公開先を限定しないことなど改善の余地は大いにある。(肩書はいずれも当時)
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 この特集は、山川剛史、永井理、加藤裕治、大野孝志、大村歩、榊原智康、桐山純平、片山夏子、清水祐樹、宮尾幹成、森本智之、小野沢健太が担当しました。

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