笠間焼作家・新井倫彦さん「汚染の可能性心配、廃炉を」

 幼い頃に小学校で、広島や長崎の原爆投下直後の様子を記録した映画を見た。1954年には、米国の水爆実験によりマグロ漁師らが被ばくした第五福竜丸事件もあり、核は恐ろしいものだと感じていた。
 中学生くらいになると、「原子力の平和利用」について教えられた。核について、矛盾した両極端な面を見せられた。ただ、平和利用は「絶対に安全だ」と言われていたので、核兵器の脅威はあったが、危険視していなかった。
 東京の大学に進学した学生時代は、原発などの基礎調査として、気象観測をするアルバイトをしていた。福島県も含めて全国に行き、観測器を付けた気球を飛ばした。東海村で調査したこともあった。

笠間焼作家・新井倫彦さん

 スリーマイルやチェルノブイリなどの原発事故はあったが、日本からあまりにも離れていたので、多少の不安は心の底にはあったが、それほど、危険性を感じなかった。身をもって実感したのは、東日本大震災が初めてだった。
 笠間焼の登り窯が壊れるなど、ここら辺でも地震による被害が大きかった。さらに、東京電力福島第一原発で事故が起き、放射能汚染の影響が心配になった。ガイガーカウンター(放射線測定器)で自宅周辺を測ってみたら、といの下とアルミサッシの外側の溝が高かった。アルミサッシは、窓1枚を隔てて生活空間にとても近く不安だった。
 陶芸にも影響した。他の笠間焼作家が、地元のマツを薪として使い、残った灰を測定したところ、放射性物質が検出された。私は、釉薬(ゆうやく)の材料に木灰を使っていたので、かなり神経質になった。干していた粘土も、汚染されている可能性があった。
 震災後に、愛知県でのイベントに作品を持って行った時は、放射線量を測定してから売り出さなければならなかった。地元の材料を売りにはできないと思った。それまでは、地元の土も含めて2、3種類の土を混ぜて使っていたが、滋賀県の信楽焼の土に変えた。
 そうした経験をしているので、東海村の日本原子力発電東海第二原発の再稼働は絶対にだめ。運転から40年以上がたち、老朽化も心配されているので、廃炉にすべきだ。
 想定外の大地震があれば、福島第一原発と同じような事故になる可能性がある。笠間市の30キロ圏に入る住民は、栃木県内に避難することになっているが、果たしてそれで10分なのか。
 福島の事故の時、広範囲に汚染が広がったことを考えれば、東海第2で事故が起きれば、自宅兼工房は30キロ圏からわずかに外れているだけなので、危険が及ぶ。笠間市は広域避難計画を早々と策定したが、「避難経路の情報を言っておけばいい」という感じで、実効性に乏しくいいかげんな気がする。
 県議会6月定例会で、東海第二の再稼働の賛否を問う県民投票条例案が否決された。議論が尽くされておらず、住民の意見がきちんとすくい上げられていないと感じた。誰だって「原発は怖い」「放射能汚染は嫌だ」と思っているはず。どう廃炉にするかを考えるべきだ。 (聞き手・松村真一郎)

<あらい・みちひこ> 1947年、徳島県生まれ。鹿児島県で陶芸の腕を磨いた後、作品づくりの拠点を探す中で、笠間焼の産地である笠間市に。81年に、工房「風の窯」を開き、食器や花器、茶器などを作っている。

東海第二原発とは?

 日本原子力発電が1978年11月に営業運転開始。出力は110万キロワットで、電気を東京電力や東北電力に供給していた。東日本大震災時は外部電源を失い、冷温停止まで3日半かかった。都心に最も近い原発で、都庁までの距離は福島第一からの半分程度の約120キロ。重大事故が起きた場合、首都圏全域に甚大な被害を及ぼす可能性がある。
 2018年11月に原子力規制委員会が最長20年の運転延長を認めた。再稼働の対策工事は21年3月までかかる見込みで、資金支援のため、東京電力などが約3500億円を拠出する構図も固まった。再稼働には、東海村や水戸市など6市村の同意が必要で、首長がどう判断するかが焦点になる。

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