ふくしまの10年 雪が落とした災い ⑨村内にまだ多くの子が

村に残っていた子どもたちは、川俣町で間借りしていた校舎にバス通学していた(豊田直巳さん提供)

 2011年4月21日、飯舘村の幼稚園や小中学校は隣接する川俣町の学校などを間借りし、保育・授業を再開した。西へ10数キロ、山を下った形の川俣町だが、放射線量は飯舘村より格段に低い。
 村内を継続取材していた豊田直巳さん(64)は、ひとまず安心の環境で子どもたちが学べることを喜んだ。だが、強い違和感もあった。
 一つは、翌日からは川俣町で保育・授業が再開されるのに、合同の入園、入学式が村内で行われたこと。
 「せっかく川俣で再開できることになったのに、どうしてわざわざ村内で…」。雪が残る会場で取材しながら、豊田さんは疑問に思った。
 もう一つは、5月に入っても村役場を発着するスクールバスが走っていたこと。
 この時点では、仮設住宅は未完成で、行政は1次避難先の確保に追われていた。子どものいる家庭では、多くが3月から自力で避難していた。だが家業や金銭的な理由で、子どもと村内に残っている家庭も少なからずあった。
 何人の子どもが残っていたのか、村役場に記録はないというが、村が運行するバスの半数に当たる6台が、村から川俣町に子どもたちを送っていた。残る子どもが減るにつれてバスも減ったが、運行は6月いっぱい続いた。
 バスで村役場前に帰ってきた子どもたちを写真に収めつつ、豊田さんは「既に学校は避難したのに、まだ子どもがこんなにも残っているのか」と驚かされた。

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