ふくしまの10年 無人の街を撮り続けて ⑨避難所に暮らしの工夫

富岡町の住民の避難所となった体育館=三春町で(飛田さん提供)

 原発事故発生から2カ月ほどが経過した2011年5月初旬。福島県三春町の中心部から車で10分ほどの場所にある町体育館では、富岡町の避難住民らが、狭いスペースで不便な生活を続けていた。
 同町在住の写真家・飛田晋秀(ひだ・しんしゅう)さん(73)はボランティアとして活動を始め、寄贈された敷毛布を各世帯に配布する作業を担当した。その後、許可を得て体育館内を撮影した。
 「お年寄りは体育館の床の上に長い期間寝ていると腰が痛くなるんです。そこで敷毛布を配ったんです」
 1世帯あたりの生活スペースは縦2メートル横4メートルほど。高さ1メートル弱の段ボール製の仕切りはあるが、事実上、プライバシーはない。コロナウイルスの脅威がある現在なら、あり得ない密集ぶりだ。それでも避難住民たちは、段ボール箱を積み重ねて靴箱にしたり、キャンプ用のテーブルを持ち込んだり狭いスペースを工夫しながら暮らしていた。
 体育館の壁には「おやくそく」と書かれた模造紙が張られていた。「大きな声を出さない」「小さな子の面倒をみる」などとあった。
 「子どもがいる世帯は大変ですよ。親は気を使うし、子どもは退屈だし。しかも、知らない土地ですからね」と飛田さんは振り返った。

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