ふくしまの10年 無人の街を撮り続けて ⑧無防備だった災害対策

オフサイトセンター内のホワイトボード=大熊町で(飛田さん提供)

 東京電力福島第一原発から約5キロ、大熊町の市街地の一角に旧原子力災害対策センター(オフサイトセンター、OFC)はあった。原発事故の際は、関係省庁や自治体、東電の担当者が集まり、住民の安全確保策を練る拠点となるはずだったが、全くと言っていいほど機能しなかった。
 三春町の写真家・飛田晋秀(ひだ・しんしゅう)さん(73)がOFCに入ったのは、事故発生から3年あまりが過ぎた2014年6月。嘉田由紀子滋賀県知事(当時)の視察に同行する形だった。センター内はほぼ撤退当時のままの状態で残されていた。
 「会議室横の机には、『保存水』と書かれたペットボトルが大量に置かれていました。ホワイトボードには、緊迫した当時のセンター内の様子が分かる内容のメモが書かれていました」
 飛田さんのボードの写真を見ると、メモは事故発生翌日の11年3月12日未明分から。各町民を主にどこに避難させたか、汚染を検査する機器の調達状況などが記されていた。
 本紙のこれまでの取材で、OFCでは12日まで非常用電源が使えず、使える通信手段は衛星電話3台だけ。国の担当者らも半分以下しか集まらなかった。換気装置も放射性物質を防ぐ仕様ではなかった。15日、放射線量の上昇を理由に福島市の県庁に撤退してしまった。

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