ふくしまの10年 「消えた障害者」を捜して ②多くの人 安否知れず

郡山市を拠点に障害者支援にあたった和田庄司さん=郡山市で

 2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故では避難できない障害者も多かった。その事実が分かったのは、しばらく後のことだった。
 「手分けし県内108カ所の避難所を回ったが、障害者にはほとんど会えなかった。避難所で尋ねても『や、いねえな』という答えばかり」。JDF被災地障がい者支援センターふくしまの元事務局長、和田庄司さん(63)は振り返る。
 震災後、県内の障害者団体は、安否確認や物資支援に協力して取り組むため、郡山市に支援センターをつくった。最初は聴覚は聴覚同士という形で支援を始めたが、それでは対応できない被害の大きさだと気が付いたからだ。
 各団体とつながりのある障害者の安否は分かったが、つながっていない人たちが心配だった。それで4月に始めたのが避難所調査だった。
 車いすで避難している人もわずかにいた。家族とともに車の中にいた自閉症の人もいた。「しかし、こんな人数のわけがない」(和田さん)
 神戸市から応援に入っていた社会福祉法人かがやき神戸理事、松本多仁子さん(66)はある避難所で、夜抜け出して自宅に戻ることを繰り返す40代の知的障害の男性と出会った。自宅は原発事故で避難指示が出ていた。
 「歩いて1時間ぐらいかかるけれど、飼っていた犬が心配だったんです。彼が『放射能はにおいも色もない。分からないことを言われても』と戸惑っていた」
 ただ松本さんも重い障害のある人にはほとんど出会わなかったという。障害者はどこに「消えた」のか。避難所調査を始める少し前に南相馬市のNPO法人から掛かってきた電話が糸口となり、謎が少しずつ解けていく。

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