ふくしまの10年 行ける所までとにかく行こう⑥ なぜ怒らないのだろう

避難住民に、原発事故の発生を謝罪する東電幹部たち=2011年3月22日、田村市で(豊田直巳さん提供)

 いったん東京に戻った写真家の豊田直巳さん(63)は、2011年3月22日に再び福島県に入った。多くの避難住民がいる阿武隈山地にかかる田村市総合体育館を目指した。
 駐車場には「災害派遣」の幕を張った東京の自衛隊車両や大熊町の消防団の消防車、避難住民らのマイカーが止まっていた。
 大震災や原発事故がなければ、この体育館ではNHKのど自慢が13日に実施されるはずだった。入り口には「のど自慢中止」の張り紙が張られたまま。「さぞ多くの人が楽しみにしてだろうに…」
 館内に入るには、隣の陸上競技場施設内に設けられたスクリーニング場で、放射能汚染のチェックを受ける。避難してきた住民たちは、応援の九州電力の作業服を着た担当者から頭や肩、足など体の各所に測定器を当てられていた。
 広い館内は緑色のシートが一面に敷き詰められ、段ボール紙の上に布団や毛布を広げた避難住民でいっぱいだった。プライバシーはない。疲労からか横になっている人も多かった。
 そこへ東京電力の幹部がやってきた。「このたびは大変ご迷惑をおかけし、申し訳ございません」。深々と頭を下げて回っていたが、声を荒らげる避難住民は少なく、むしろ頭を下げる人が多かったという。その様子に、豊田さんは「原子力と共存してきた地域だからなのか?なぜだろう」と不思議に思った。
 大熊町から逃げてきた居酒屋経営の男性は「地震の被害は食器が落ちて割れた程度だった。だけど、放射能でもう戻れないだろうなあ」と話していた。しかし多くの人は、避難生活は一時的なものにすぎないと考えているようだった。「まさかずっと避難を強いられるとは考えていなかったのではないか」

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