ふくしまの10年 行ける所までとにかく行こう⑤ 希望見つけるため

観光バスでさいたまスーパーアリーナに避難してきた双葉町の住民たち=2011年3月19日、さいたま市で(豊田直巳さん提供)

 とても受け入れがたいほどの津波被害と、東京電力福島第一原発事故による放射能汚染を体感した写真家の豊田直巳さん(63)は、いったん東京に戻った。福島県双葉町の住民が、3月19日にさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)に避難してくると聞いて駆けつけた。午前中から待った。
 午後3時前、観光バスに分乗した住民たちが到着した。多くのボランティアがお年寄りを支えながら歩いたり、車いすを押したりして出迎えた。炊き出しや場内の案内地図も準備する姿に感銘を受けた。
 ボランティアの中には双葉町出身で首都圏に住んでいる人たちもいたようで、ふるさとの顔見知りと無事に再会を果たす場面もあった。抱き合って涙を流して喜ぶ姿に、豊田さんはぐっときた。
 「自分は原発事故で無人の街となってしまった感覚が強かったが、双葉町は津波被害も大きかった。二重の被害を受けた方々も多いのだと認識し直した」
 アリーナには井戸川克隆町長(当時)の姿もあり、数日前に見た双葉町の様子を手短に伝えた。「住民に伝えてやってくれ」と言われたという。
 バスから降りた住民の中には、母親に手を引かれた小学5年生の女の子の姿もあった。リュックを背負い、両肩にかばんをかけていた。大震災と原発事故の発生から一週間、避難先を転々とするつらい日々を送った。カメラを向けると、女の子はマスクを外し、「早く、家に帰りたいです」と笑顔で答えた。
 笑顔で自分を鼓舞しているのかもしれない。そう感じた豊田さんは、町の様子について何か伝えようかとも思ったが、言葉をのみ込んだ。その代わり、何か希望の可能性を見つけられるかもと双葉町を再び取材しようと心に決めた。

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