ふくしまの10年 小高にあった「ラーメン大将」⑤凍った心を溶かす涙

原田幸子さんが家族の記録として著した『寸法のない建築物』

 南相馬市小高区で「ラーメン大将」を営んでいた原田幸子さん(64)の故郷は浪江町の津島地区。戦後の食糧難の際、国有林が開拓地として開放され、父親が入植した。「父親は戦時中、東京で消防の仕事をしていて大変だったと聞いた」という。
 東京電力福島第一原発事故で浪江は全町避難となり、実家も失った。避難指示が続く中、店の再開も諦めていた。
「何もかもゼロになるのはいやだ」。幸子さんは2013年、宗雄さんが車庫を建てた時の家族の記録を「寸法のない建築物」(文芸社)という一冊の本にまとめた。写真はかろうじて津波を逃れ、残っていた。
 17年に父、18年に母が亡くなった。引退して、子犬時代を過ごした家に戻っていたハーツも亡くなった。幸子さんは悲しいと感じないよう心を閉ざした。
 津波に車ごと流された経験から、車に乗るとストレスでおなかが痛くなる。車で迷った後、顔面神経痛になったこともある。目が見えない夫の宗雄さん(76)は慣れない避難先の団地で階段を踏み外し骨折した。震災後、夫婦は三回ずつ入院した。
 8回目の引っ越しで現在のいわき市の一軒家に落ち着いた。2代目の盲導犬ネスも一緒にいる。
 今年の正月、娘の亜希子さん(41)の一家が遊びに来たときに、小学生の孫の体調が悪くて、帰った後に泣けてきた。「小さくてもそんなに悪くなることあるんだな。人はいつどうなるか分からない」
 涙は温かいと、震災から9年たって思い出した。凍った心は解け始めたのかもしれない。店をやっている時には忙しくて参加できなかった地域の活動にも参加してみたいと考えている。 =おわり(早川由紀美が担当しました)

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