負の歴史、伝えた父継ぐ<フラ女将の街で 福島いわき湯本の9年 下>

 湯本温泉街(福島県いわき市)で創業325年の旅館「古滝(ふるたき)屋」のロビーの棚には、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に関する本が多く並ぶ。
 「前は400種類の菓子を置く売店でした。今は、情報基地にしています」
 16代当主の里見喜生(よしお)さん(51)は2012年7月に営業を再開後、原発事故の被災地を案内するツアーに力を入れている。
 朝、旅館から車に乗り、バリケードで住宅街が封鎖された帰還困難区域そばのJR常磐線夜ノ森駅(富岡町)へ向かう。裏道を回り、線量計で空間放射線量を測る。町内の東電廃炉資料館は「僕が案内しなくてもいける」と寄らない。
 「150年続いた農家をやめざるを得なかった人や人生が一変した人の話をします。家族の歴史を喪失させたのが原子力災害です」
 ツアーには延べ5500人、最近では大学生らを中心に年500人が参加する。費用は3000円。当初は「楽しい旅行に水を差すな」と批判されたり、インターネットで「宿の社長はパヨク(左翼を侮辱する言い方)」と書かれたりした。
 それでもやめなかった。「自分のことだけ考えれば、嫌なことは見せなければいい。でも他の地域に同じ過ちをしてほしくない」

旅館のロビーに東日本大震災や原発事故の本を置いた里見喜生さん。売店があった場所には地域の歴史を伝える本も並ぶ=福島県いわき市常磐湯本町の旅館「古滝屋」で

被災地巡るツアー「参加者ゼロになるまで」

 原発事故直後、安全確保を優先して従業員130人を全員解雇した。苦渋の決断で老舗が廃業の危機に直面したころ、里見さんは温泉街の山のふもとにある寺の墓地に足しげく通った。
 「父なら、先祖ならどうしただろう」。墓前で自問し、父らに聞かされた祖父母の苦労話を思い出した。
 明治期、温泉街がある常磐地区で、国は石炭採掘を推し進めた。今のJR常磐線が開通し、首都圏に石炭を運び、客も呼び込んだ。
 だが石炭を掘り続けたことで、温泉が一時枯れた。石炭1トン掘るのに40トンの温泉が排水されたという。「祖母は冷たい山水をくんで浴槽に入れ、当時憎らしかった石炭で沸かして、営業を続けたそうです」
 温泉街の人たちは戦時中の1942年、炭鉱会社に温泉の安定供給を約束させ、危機を脱した。この歴史を「常磐湯本温泉史」(七九年発行)にまとめた立役者こそが、里見さんの父で先代の庫男(くらお)さんだった。
 2009年に68歳で病死した庫男さんは、温泉街を苦しめもした石炭産業の遺産を巡るツアーを07年に始め、「負の歴史」を生かした。「父と話すことは少なかった」。ただ、その姿を間近で見て育った。
 温泉街は原発事故で客足が途絶え、再び国のエネルギー政策の犠牲となった。悩む里見さんの支えは、父が次の世代へ伝えようとした歴史。「困難を克服したから、僕たちがいる」
 国内外を飛び回り、月の半分は旅館にいない。約30人の従業員をまとめる妻で女将(おかみ)郁子さん(51)は「経理も総務も私一人。いてもらいたい」と不満をこぼすも、「私にはできないことをやっている」と笑う。
 里見さんはこの街で、被災地の現実を伝えていくと決めている。「ツアーの参加者がゼロになるまでやりたい。関心を持つ人がいたら、一人だけでも案内します。原子力災害で苦しむ人は今もいますから」 (福岡範行)

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