ふくしまの10年 詩になったアナウンサー⑤ 取材拒否の人が今は親友に

自宅近くの海岸で父・喜久蔵さんと長男・倖太郎ちゃんの手がかりを探し続ける上野敬幸さん=南相馬市で

名刺捨てられ萱浜通い

 福島県で東日本大震災の被害が大きかった浜通りにラジオ福島のアナウンサー太和田新(あらた)さん(64)が通い始めたころ、取材拒否に遭うことは珍しくなかった。その一人が上野敬幸さん(48)だ。
 上野さんの自宅は南相馬市萱浜(かいはま)で、海岸から1キロ内陸の少し高台にあった。津波で両親と長女(8)、長男(3)を亡くした。ポツンと1軒だけ外観だけ残った住宅は、いつしか撮影スポットになっていた。中には心ない取材者もいたという。
 大和田さんが初めて上野さんに会ったのは2011年5月。名刺を出すと捨てられた。それから萱浜通いが始まった。
 「(マスコミには)この震災を伝える責任がある。それは奇跡的に残った家だけでなく、津波で家族や仕事をなくした悲しみや、原発事故で故郷に帰れなくない不安や絶望感。そして、懸命に立ち上がろうとしてる人たちの思いだ」
 萱浜は福島第一原発から21キロ。行方不明者の捜索が始まったのは津波から1カ月後。上野さんら地元の消防団員10人が進めた。大量のがれきを除去するには重機が必要だったが、「放射能がうつる」と断られた。それでも1カ月で40人以上の遺体を発見した。
 「原発事故がなかったら救えた命があったかもしれない。(亡くなった人も)もっと早く、家族と会えた。当時の首相や東電社長が謝りに来ない限り、私は政府も東電も許さない」と上野さんは語っていた。
 その後、壊れた建物の近くに自宅を建てた。春は菜の花の迷路を造り、夏には花火大会を開く。故郷に笑顔を取り戻すために。そして今月、五輪の聖火ランナーを務める。
 取材対象だった人が友人になった。前を向いて進む人が増えた。大和田さんの仲間はさらに広がる。

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