-3号機では海水注入の準備をしていたのに、なぜ淡水に切り替えたか。
「基本的に思い出せないんですよ。強く海水がだめだというような指示が本店からあった記憶もないんですね。現場は『海水注入は次にして、淡水という指示に切り替えた』と言っているようですけれども、私はあまり記憶がなくて、淡水であろうが、海水であろうが、やりやすい方でやればいいという判断でやったつもりなんです」
「いろいろ思い出したんだけれども、確かに官邸から淡水で入れろという指示があった。それに引きずられたと今では思っていますけれども、完全に頭の記憶から抜けていました」
-優先的に淡水を使った理由は。
「やはり官邸です」
-それが一番か。
「一番です。私は海水もやむを得ずというのが腹にずっとありますから、最初から海水だろうと、当初言っていたと思います。その後に官邸から電話があって、何とかしろという話があったんで、がんばれるだけ水を手配しながらやりましょうと」
-淡水注水が始まるまで六時間四十分くらい空いているが、炉心の状態は。
「もうこのときは死ぬと思いましたから、要するにもっと早く入れたいわけですけど、結局ラインアップ(ホースをつないで注水の準備)もできないとか、いろんな条件が整わないということで」
-十三日午前中は炉の圧力低下を見て、淡水注入を始めた。一応、3号機については手を打ったと。
「九時二十分に水が入って、それで水位が回復してきたんですね。これはうれしかったですよ。ここでいったんほっとしたわけです。けれども、ベントが本当にできたかどうかよく分からないねという状態が続いていて、その辺の報告が次々ある中で、次は2号機だねと、それが重なっている感じですね」
-淡水がなくなったら海水だとあらかじめ言っていたということか。
「はい」
-(海水注入が再開されたが、3号機は深刻さを増していく)十三~十四時ころ、建屋の二重扉の内側あたりが三〇〇ミリシーベルトとか、白いもやがあった記録があるが、そういう印象は。
「あります」「基本的には1号機と同じように、燃料が損傷を受けて、蒸気だとか、漏れ出たものが格納容器を出て、それが建屋の方に出てきている状況だろうなと思っていました」
-燃料棒の相当部分が露出している認識は。
「もちろんある。ちょっとでも早く止められるような方策を練らないといけないというのが、私の至上命題。水を入れることと、格納容器の圧力を抜くと、この二点だけを考えていたが、準備ができない」
-ベントの準備は。
「圧力が上がって、ラプチャーディスクを開けば自動的に(炉内の蒸気が)出るようにしておけという指示はしてあった」
-圧力が下がらない原因は。
「結局ラプチャーディスクを割るような圧力バランスまで行っていないんだろうと」
14日 40人不明情報死のうと
-(汚染蒸気をそのまま出す)ドライウェルベントの検討は。
「もちろんしている。(水をくぐらせて放射性物質を取り除く)ウエットウェルベントを先行してしまって、それをやっている間に爆発してしまった」
-保安院とか官邸が、プレス発表を止めているようだが。
「そんな話は初耳。私はほとんど記憶ないです。広報がどうしようが、勝手にやってくれと」
-どこに退避する。
「免震重要棟だ。武藤(栄副社長)から、そろそろ現場をやってくれないかという話があった。ちょっと圧力が落ち着いてきて現場に出したら、爆発した」
-行ってから爆発までどれぐらい時間があった。
「結構短かった。ゴーかけて、よし、じゃあという段取りにかかったぐらいで爆発した。現場から上がってきたのは四十何人、行方不明という話。爆発直後、最初の報告だが、私、その時、死のうと思った。それが本当で四十何人亡くなっているんだとすると、そこで腹切ろうと思っていた。確認したら、一人も死んでいない。私は仏様のおかげとしか思えない」
「注水ラインだとか、いろんなラインが死んでしまっている可能性が高いわけですね。もう一度現場に行って、がれきの撤去と、必要最小限の注水のためのホースの取り換えだとか、注水の準備に即応してくれと頭を下げて頼んだんです。本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」
-どこに優先的に。
「やはり注水ですね。1、3についていうと、燃料露出させてしまったんで、水を入れるしかないということで、極力継続して水を入れるというのと、2号機は、できれば(核燃料が水から露出し始める)TAFに行く前に水を入れたくてしょうがなかったんです」
「2号は水位が十分にある間に減圧注水すれば、3号機や1号機みたいにぎりぎりにならずに済むので、早く注水したいと思っていたわけです。そこで3号機の爆発が起こって、やっと構築した2号機の注水ラインが飛んでいるわけです。そこから復旧にかかるわけですから、これは完全なるロスタイムになっていますから」
-2号機への注水再開の経緯は。
「圧力が下がらない。下がらないところに水を入れても入らない。官邸から電話があり、班目(まだらめ)(春樹原子力安全委員長)さんが、早く(ベント弁を)開放しろと。四の五の言わずに減圧、注水しろと。清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、『班目委員長の言うとおりにしろ』とかわめいていました。『現場も分からないのによく言うな、こいつは』と思いました」
-圧力や温度を下げようと思っても、何もできない。
「私だって、早く水を入れたくてしょうがない。現場ではできる限りのことをやって、後がスムーズに行くようにと思っているんですけれども、なかなかそれが通じないんですね」
「(ベント弁の)バルブが開かないと。私は何せ焦っていたんで、早く減圧させろと。開かないと言っても、私自身、パニックになっていました」
「廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと思ったんです」
「2号機はこのまま水が入らないでメルト(ダウン)して、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出て行ってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。(旧ソ連の)チェルノブイリ(原発事故)級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」
「結局、放射能が2F(福島第二原発)まで行ってしまう。2Fの4プラントも作業できなくなってしまう。注水だとかができなくなってしまうとどうなるんだろうというのが頭の中によぎっていました。最悪はそうなる可能性がある」
-退避は検討したか。
「まず、ここにいる人間が、ここというのは免震重要棟の近くにいる人間の命に関わると思っていましたから、免震重要棟のあそこで言っていますと、みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤(栄副社長)に言ったのかな。こんな状態で非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人間は必要ミニマムで置いておくけれども、退避を考えた方がいいんではないかと話をした記憶があります」
-それは、SR(蒸気逃がし安全)弁がなかなか開かないからか。
「開いたんですが、なかなか圧が下がらない。どんどん水位は下がっていく。圧力が下がり、水を入れるタイミングのときに、消防車の燃料がなくなって、水が入らないと。これでもう私はだめだと思ったんですよ。私はここが一番死に時というかですね」
-だめだと思ったのは3号機とかよりも2号機か。
「3号機や1号機は水入れていましたでしょう。(2号機は)水入らないんですもの。水入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が。燃料分が全部外へ出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころではないわけですよ。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」
15日 全員撤退言っていない
-退避も検討という話は出ていた。
「細野(豪志首相補佐官)さんに、退避するのかどうかは別にして、危機的状態だ、水が入らないと大変なことになってしまう、その場合は現場の人間はミニマムにして退避(する)ということを言ったと思う。電話で言った」
-本店側の反応は。
「OKだとかそうではないとかいう話ではないが、そういう危険があると、分かったと」
-東電社員は。
「何かあったらすぐに退避できるようにというのは指示している」
-五時ぐらいに菅直人首相が本店に来て、撤退はないとか、命を懸けてくださいとか。
「それは言っていた」
-所長はその前に細野さんらに、撤退(もあり得る)と言ったのか。
「全員撤退して身を引くということは言っていない。私は残るし、操作する人間は残すが、最悪のことを考えて、いろんな政策を練ってください、関係ない人間は退避させますからということを言っただけだ」
-(2号機の圧力低下と4号機の爆発後)しばらく人員が少なくなる。
「バスで退避させた。2Fの方に」
-その日の午前中に、GM(発電所の幹部)クラスはほとんどが2Fから帰ってくる。
「本当は私、2Fに行けと言っていない。行くとしたら2Fかという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第二に行けと指示した。私は、福島第一の近辺で線量の低いところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりだが、2Fに行ってしまったと言うので、しようがないなと」
-所長の頭では、周辺の線量の低いところ。
「線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったが、確かに考えてみればみんな全面マスクしている。それで何時間も退避していて死んでしまうよねとなって、2Fに行った方がはるかに正しいと思った」
-「撤退」という言葉は使ったか。
「使わないです。菅が言ったのか、だれが言ったか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけないですよ。ばか、だれが撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
-ある時期、菅さんが自分が東電が逃げるのを止めたんだみたいな。
「辞めた途端に。あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」
備えないと他も危ない
-福島第一に十メートルほどの津波が来る可能性があるという話は聞いていたか。
「聞いていた。もっと高い津波が来るなら対策が必要だと常に社長、会長、原子力の本部長以下にも報告していた」
-聞いた時には。
「それはうわあと。入社時は最大津波はチリ津波と言われていて高くて三メートル。非常に奇異に感じた。そんなのって来るのと」
-東北電力女川原発(宮城県)では、八六九年の貞観津波を考慮している。福島では。
「福島県沖の波源(津波の発生源)は今までなかった。いきなり考慮するのは、費用対効果もある。お金を投資する根拠がない」
-根拠とは。
「専門家の意見。誰がマグニチュード9が来ると事前に言っていたか。結局、結果論の話。何で考慮しなかったんだというのは無礼千万」
-土木学会の指針には権威、客観性があるのか。
「ある。これはオールジャパン。声を大にして言いたいが、原発の安全性だけでなく、今回二万三千人死んだ(実際には死者約一万六千人、行方不明が約二千六百人)。こちらに言うなら、あの人たちが死なないような対策をなぜその時に打たなかったのか」
-津波対策の方針をどう幹部に相談していたか。
「一番重要なのはお金。対策費用の概略をずっと説明していた。経営層に急にお金がいると言っても駄目だから。ただ、株主代表訴訟だとか、説明責任を果たし得るベースにはなっていなかった」
(福島第一では一九九一年に海水配管の腐食で、非常用発電機が水没した。しかし、東電は教訓を生かさなかった)
「冷却系統はほとんど死んで、DG(非常用ディーゼル発電機)も水につかって動かなかった。今回のものを別にすれば日本で一、二を争う危険なトラブル。ものすごく水の怖さが分かったが、古いプラント、一回できたものを直すというのはなかなか」
-対応を事前に考えて訓練して備えることはできたのでは。
「おっしゃる通り。ただ、今回のもの(津波高)は十五メートルという思考停止レベルの話なので」
(東電は複数の原子炉が同時に事故を起こす事態を想定していなかった)
「柏崎(刈羽原発)の(新潟県)中越沖地震は同時にいった。でも、無事に安全に止まってくれた。あれだけの地震が来ても。設計の地震を大きく超えていたが、安全機器はほとんど無傷だった」
「今回のように冷却源が全部なくなるとか、そういうことには(中越沖)地震でもならなかった。やはり、日本の設計は正しかったと、逆にそういう発想になってしまった」
-事前の備えがあれば良かったと思うことは。
「何セットかバッテリーの準備、コンプレッサーだとかきめ細かい備えしておかないとほかの電力、危ないなという感じはする。人の訓練と」
-3・11前は備えも訓練もなかった。なぜか。
「やはり(津波は)来ないと思っていたからだ」
-電動のスイッチで対応できなくなった時のことまでは考えなかったのか。
「三月十一日の前はそういう発想にはいっていないのだろう。スイッチ押せば、その通りに動いてくれるという前提でのマネジメント。これは東電福島第一だけでなく、オールジャパンどこでもそうだと思う」
-電源盤(配電盤)が建屋地下にあり、結局駄目だと。そこまでは思いが至らないのか。
「至っていない。水がそこまで来るという発想がない」