連載「チェルノブイリ原発事故 30年後の現実」 (4)忘れられた街

今も汚染地に1万人

 チェルノブイリ原発から放出された放射性物質は西向きの風に乗り、七十キロ離れたナロジチも汚染した。街は強制移住区域に指定され、無人のはずだが、実は今も一万人が暮らしている。旧ソ連の情報隠しと、その後のソ連崩壊に伴う混乱で忘れられた人たちだ。
 看護師のオクサナ・ディードフ(40)はその一人。この街で生まれ、十一歳のときに事故が起きた。
 原発三十キロ圏内の移住は事故直後に始まったが、汚染が広域に及ぶことは旧ソ連政府が隠した。ゴルバチョフ政権が進めた民主化で、事故から丸三年がたった一九八九年、ようやく汚染の全体像が明かされた。
 移住先の家は政府が用意するはずだった。だが、九一年にそのソ連が崩壊。ウクライナが独立した後も、度重なる政変や財政難で、移住の話は進まなかった。ナロジチでも、人口三万人のうち二万人が移ったところで止まった。ディードフの移住も、宙に浮いた。
 今も移住したいが、願いはかなわない。二十年以上も順番を待つ間に、子宮がんを患った。法律上は診察や医薬品は無料のはずだが、手術も薬も自己負担させられている。看護師の給料と、汚染されていない食品を買うための給付金(月額約千四百円)の多くが消えていく。
 食費に事欠くため、汚染が残る農地で両親が作った野菜を食べている。内部被ばくする危険を伴う。
 窮乏に拍車をかけたのが内戦だ。「物価は全体的に急に上がった。検査や診察代も一年前に比べてはるかに高い。この怒りを、どこにぶつければいいのか」と頭を抱えた。
 一方、スベトラーナ・チャシチョバ(45)は移住できたが生活は厳しい。彼女は事故の四年後、ナロジチから百キロ離れたプリボローチェ村に移った。「以前は村に訪問健診が来ていたが、この十五年、一度もない。五年前に肺がんで亡くなった父も、健診が続いていれば、早く見つかって助かったと思う」。ここでも、政府は約束を守っていない。
 物価上昇を受け、政府は安全な食品を買うための給付金額を上げるとしているが、約束が本当に守られるのか、不信感が募る。
 この村からも、男たちが内戦に駆り出されている。チャシチョバの夫はもうすぐ四十七歳だが、それでも「徴兵されるのではないかと気が気でない」と彼女は不安にさいなまれている。 (敬称略)=おわり
  (この連載は文・大野孝志、写真・梅津忠之が担当しました)

■福島では 生活基盤 戻らぬまま

 政府は除染して避難住民を帰還させることを、施策の中心にしている。避難指示の解除1年後をめどに賠償を打ち切る方針。住民は追い立てられる形になる。
 しかし帰還しても、特に農家は安全な農地という生活の基盤を奪われたままだ。生計を立てられるのか、病院や介護などは大丈夫なのかなど問題は山積。山は除染されず食文化の一部となっている山菜やキノコは汚染されたままだ。
 一方、避難先で家を買い生活再建を急ぐ人が増えており、国の政策がかみあっていない面が多い。

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