「復興、見える場所ばかり」原発事故被災の福島・楢葉町

国道6号沿いにできた復興住宅が立ち並ぶ町の新たな中心部。一角にはスーパーや飲食店もある=15日、福島県楢葉町で

 新しい家が立ち並び、縁側では高齢の男性が洗濯物を干していた。スーパーの駐車場には、青や赤色の乗用車や軽自動車。福島県浜通り地域を縦断する国道6号沿い、楢葉町の景色は3年前とは全く違う。 (小川慎一)
 2011年3月の東京電力福島第一原発事故で、全町民が避難を強いられた。この地に初めて訪れたのは16年3月、政府の避難指示解除から半年がたったころ。荒れた田んぼ、人けも明かりもない家々。すれ違うのは、作業服姿の男性が運転するトラックや白いワゴン車ばかりだった。
 町には約3700人が暮らす。避難指示が解除された区域では居住者が最も多く、住民登録者の5割超。しかし、残りの人は避難先が今も生活拠点だ。
 新妻宏明さん(60)は、町南部のJR常磐線木戸駅から歩いて15分ほどにある自宅を建て替え、16年8月に不動産業を始めた。避難先である20キロ以上離れたいわき市から、妻(59)と車で通う日々を送る。
 「住民のためになると思ったけど、大きな勘違いでしたね」と、新妻さんは笑った。避難先から戻って住宅を探す人を当て込んだが、客の9割以上が企業。原発の事故収束や復興事業で、広い土地やアパートが必要とされているからだ。
 町民からは「土地を売りたい」という声が多いという。農業再開を断念した町民にとっては、田んぼや畑が不要となった。だが、買い手が見つからない。「値下げしても厳しい。『放射能を浴びている土地には価値がない』と言われたこともある」と明かす。

国道から離れた場所では放置された民家の周りで草が伸び、道路はでこぼこのまま。ここには事故前、東電社員らが住んでいた=楢葉町で

続く目に見えぬ「放射能」という不安

 東電の関連会社社員-。新妻さんのサラリーマン時代の肩書だ。事故後、関連会社の合併が進む中で同僚らをリストラする仕事もした。14年夏に退職し、専門学校に1年通って宅地建物取引業免許を取得した。
 「この辺では関連会社も含めて東電。被災者でありつつ、加害者でもある。それがつらかった」。その言葉に、別の関連会社で働いていた妻がうなずく。避難所で「おまえたちのせいだ」と責められたこともあった。妻は「夫の退職に反対しなかった。安心の方が大きかった」と振り返る。
 新妻さんは生まれた町に、完全に戻る踏ん切りがつかない。アユを釣っても、山菜を採っても、食べられない。放射能汚染が続いている。「子や孫に水道水を飲ませられるかといわれれば、なかなかできない」。水は全てペットボトル。目に見えぬ不安を抱える人は決して珍しくはない。

帰還困難区域ではバリケードで封鎖され、家には入れない=福島県大熊町で

国道離れると目立つ、空き家と更地

 参院選が公示した7月4日、安倍晋三首相は浜通り地域ではなく、福島市内で「福島の復興なくして日本の再生はない」と声を上げた。だが、新妻さんは「復興が進んでいるのは、車が通る国道沿いの見える場所ばかりだ」と憤る。
 国道から離れると、空き家と草が伸びた更地が目立つ。国道沿いも帰還困難区域には廃虚が残ったまま。来春、東京五輪の聖火リレーのランナーが楢葉町にあるサッカー施設「Jヴィレッジ」から出発し、原発事故の被災地を走る。コースはまだ決まっていないが、新妻さんは言った。
 「荒れた土地を見せたくないのが国策かな。でも、放射線量が高くて人が走れない所があるのを世界中に知らせないと」

東京電力福島第一原発事故後の避難指示

政府は福島県の11市町村約8万1000人に避難指示を出した。対象区域は2014年4月以降縮小し、19年4月に福島第一が立地する大熊町の一部で避難指示が解除された。住民帰還の動きはどこも鈍い。放射線量が高く、立ち入りが禁じられている帰還困難区域は福島第一がある大熊、双葉両町を含む7市町村に残る。

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