懸命の作業1年 初めての福島第一原発 ヘリ取材

 本紙は、東京電力福島第一原発周辺をヘリで取材した。原発の南側上空から目に飛び込んできたのは水素爆発により大破した3、4号機の原子炉建屋(写真手前が4号機)の無残な姿。敷地内には白い雪がうっすらと積もっていた。行き交う重機が、今も続く懸命の収束作業を物語っていた。地上では立ち入り禁止の二十キロ圏では、目立った損傷がない家も多かったものの、人々の暮らしが消えた街が広がるだけだった。

生活の息吹いつ 福島第一周辺 立ち入り禁止区域

 道路には走る車はほとんどなく、荒れた田んぼには何隻も漁船が打ち上げられたまま放置、線路には雑草が伸び放題-。
 上空から見た福島第一原発周辺の立ち入り禁止区域内。つい一年前まで人々は当たり前に暮らしていた。息づかいが消えた街並みが広がっていた。
 国土交通省が飛行禁止区域を大幅に縮小したのを受け、本紙は三日、ヘリで東京から太平洋岸に沿って北上し、福島第一の半径六キロ、高度六百メートルまで近づいた。
 手持ちの線量計で上空の放射線量を計測してみたが、毎時〇・〇〇〇一ミリシーベルト前後で、都内の地上と変わらない数値だった。
 まず原発が立地する福島県大熊、双葉両町の中心部を飛んだ。両町役場の周りの家々は、一見すると無傷のまま並んでいる。だがそこに住民の姿は全くなく、生活に欠かせないはずの自動車もほとんど残っていなかった。
 県内で津波の被害が特に大きかった浪江町の請戸(うけど)地区。雪が積もった更地に、多くの船が散乱していた。近くの小学校のグラウンドには、山積みのがれきが見えた。
 JR常磐線富岡駅(富岡町)の周辺では、線路が伸び放題の雑草に覆われていた。通勤や通学の足だった電車が今も通れないでいる。その事実が、原発事故の爪痕の深さを表していた。
 文・宮尾幹成、撮影・堀内洋助(本社ヘリ「おおづる」から)

関連記事